三島駅南口から程ないところにある楽寿園を訪ねたというお話であります。
元は明治期に小松宮の別邸を中心とする庭園として造られたものですけれど、
今では三島市立公園ともなっておりまして、市民の憩いの場と申しましょうか、
小さな動物園まで併設されているところを見ると井の頭公園かと思ったりするところでありますよ。
訪ねた当日は何やら小さな子供を連れた家族がぞくぞくと入場していくなと思ったですが、
「プリキュア」ってやつですか?女の子の戦隊モノみたいな着ぐるみショーで大賑わい。
もっとも、馴染みのない者にとってはバランスの悪いかぶり物をした姿に気味悪さを
覚えるところでしたけれど、
それはともかく本来のメイン・ビルディングは楽寿館というもので、
これが別邸そのものだったのでしょうから、これを見るつもりで出向いたのですが、
見学は時間が決まっていてどうにも合わない…
しかたなくこたびは園内を一巡してよしとすることにしたのでありました。
上の写真で言いますと、奥に見えているのが楽寿館。
そして手前に岩がごろごろしているところが小浜池なのですが、どうにも池には見えないという。
何せ水がありませんから。
ここの池の水は季節によって増減(夏は多く、冬は少ない)するらしいのですけれど、
先に柿田川湧水 で見たように水に恵まれた土地と思われるにもかかわらず、
こうした事態を出来するとは?不思議でありますね。
ところで、小浜池の岩がごろごろとした様子。
小さな写真では今ひとつはっきりしませんが、直にみるといかにも火山弾というか溶岩というか。
やはり柿田川湧水のところで触れた三島溶岩流の痕跡ということになりましょうかね。
小浜池に限らず、園内の至る所で溶岩の痕跡を見ることができるのですね。
「三島溶岩流」との看板と、火山性ガスが噴き出したと思しき穴だらけの岩はもとより、
縄状溶岩なんつうものを見るに及んでは、なんだか「あちち!」てな気にもなろうかと。
やはり富士山が噴火でもしようものならトンデモナイ大惨事になるのだろうと
改めて思いを致した次第でありますよ。
というところで、園内の施設のひとつである三島市郷土資料館にも立ち寄ってみたところ、
昭和の産業化の波が甚だしい時代でしょうか、三島と沼津に跨る地域に
大規模なコンビナートを作る計画があったそうな。
お目当ては富士山伏流水の豊富な水資源。
ところが、地元住民の大反対にあって、コンビナート設立は叶わなかったそうでありますよ。
とかく隣合う町がライバルみたいなところからすると、
(傍目ですが)三島と沼津はまさにそんなライバルのような気が。
方や古くから伊豆国の要である三島と、方や港を抱えて賑わいを見せる沼津と。
これがタッグを組んで反対に回ったのですから、
進出しようとした企業にもやっかいなことでしたでしょうね。
また、柿田川のように水量豊かなところもあれば、
小浜池のように不安定なところもあるという現実の中で
コンビナートがじゃぶじゃぶ水をくみ上げたとすれば、
三島は砂漠になってしまっていたかもですねえ。
一概には言えないと思うものの、このコンビナート建設が反故になったおかげで
今の三島が至るところにせせらぎのある街となっている…てなふうにも
思えるのでありました。