修善寺から道を南にとれば、やがては天城峠に達して下田へと下っていく…
つまりは「伊豆の踊子」の足跡をトレースすることにもなりますし、
旧道も旧道、天城のトンネルもない山道としての天城越えを試みれば、
初代米国公使のタウンゼント・ハリスが江戸へ向かうために通った道を(逆に)辿ることになります。
こうした興味をそそられるあれこれがまだまだあるものの、
三連休の最終日とあっては帰途から離れていくわけにもいかず、
取るものも取り敢えず三島へと北上し、まず立ち寄りましたのが「柿田川湧水群」であります。
以前、伊豆には何度か添乗で来たことがありますけれど、
バスガイドさんの曰く「ここには柿田川という湧水がありまして…」と
国道沿いの木立を指しながら車窓風景の説明をしていたことから、
予て気になる存在の柿田川なのでありました。
ご覧のように車道、それも国道1号(つまりは東海道ですな)のすぐ脇、
ここから左手の方(南面)が斜面になって、そこに柿田川が流れているのですね。
この写真では分かりませんですが、きれいな水でしたですねえ。
分析によると「色度0」「濁度0」だそうで、色もついてなければ濁りも一切なしとか。
あたりの木立は柿田川公園となっておりまして、
案内板によると二カ所ほど展望台があるとのこと。
こりゃあまた富士山でもよく見えるようになっているのかなと、
指導標に従って展望台を目指してみると、道は上るどころかどんどん下っていくのですね。
たどり着いた展望台とは、柿田川の湧水ポイントがよく見える!というところ。
なるほどです。
囲ってある縁の部分をご覧いただきますと、
「ああ、流れてでてるんだな」とお感じいただけるものと思いますが、
実際には、あるところでは気泡を伴って、あるところでは水底の砂が躍っていて、
湧きだしている様子がありありなのですよ。
と、この柿田川湧水群ですけれど、元は富士山に降った雨や雪でありまして、
およそ40kmも南にあるこの三島に湧き出す仕組みはこんなふうだそうで。
図を参考にしながら、解説板の引用をご覧いただくと「なるほど!」と思っていただけるのでは。
約8500年前の富士山の大爆発で大量の溶岩がこの柿田川上流まできました。「三島溶岩流」と名付けられたこの溶岩は、多孔質層で水を通しやすいという特徴をもっています。その下の古富士火山の表層が水を通しにくいという特徴があるため、富士山周辺に降った雨や雪が三島溶岩流の間を地下水となって流下します。
富士山が今の形になるまでには何度も何度も噴火があって、
段々に出来あがってきたわけですけれど、
今の富士山の下の層と上の層では性質が違うことから、
こうした伏流水が生まれたのでありますねえ。
湧き出すまで伏流してくるのは、10数年とも、26年~28年とも。
とまれ、それだけ長い期間をかけて溶岩の間をくぐり抜け、湧き出す水は
1日当たり約100万トンの水量と推定されるのだとか。
「ほぼ無菌で適度にミネラルを含む」この湧水は、年間を通じて水温は15度前後、
静岡県東部の35万人もの人たちの飲料水ともなっているようです。
…と、これまではまさに富士のお山の姿かたちそのものを見てきたわけですけれど、
ここへ来て富士山の見目とは異なる側面を見た気がしたものでありますよ。
これもまたひとつの「富士見」ではありましょうね。