尖石縄文考古館
の斜向かいに、京都造形芸術大学附属康耀堂美術館がありました。
京都の大学附属施設がなぜこんなところに?と思うところです。
さる実業家の方のコレクションを所蔵し展示する美術館自体は元々あったものらしいのですが、
その方のご遺族によって、コレクションが美術館の建物ともども京都造形芸術大学に寄贈されたのだとか。
太っ腹だぁねと思ったりしますですね。
展示はコレクション展の秋バージョンとして
「四季彩~美しき季節の色」というタイトルで纏められた数々の作品を見ることができました。
横山大観の「耀八紘」、下村観山の「富岳」などなど、特に日本画を見ていくうちにですが、
日本画の枯れた感じには秋という季節が実によく馴染む気がしてきます。
枯れたといっても紅葉に代表されるように、豊かな色彩がないではない。
とはいえ、そこにあるのは明るく花々が咲き乱れるような生気の漲りとは違うものですね。
茶の湯、俳諧などにも通ずる侘び寂びの世界といいましょうか。
長い間に培われた日本人の精神性というのか、感性というのか、
そういったものに自ずとしっくり来るように思われます。
もっとも、茶の湯、俳諧は言うに及ばず日本画でもそうですが、
若い年代(具体的にどの年代というわけではないですが)にとっては
いずれにしても例えばダイナミックさといった点で物足りなさを感じることもあろうかと。
若い頃にはもっぱらロックやポップスを聴いていたのに、
いつしか気付いてみればクラシック音楽に耳を傾けるようになっていた…ということがあるように
洋画ばかりを見ていたのが日本画にも心の琴線を震わせるようになり、
アクション映画でないと退屈してしまっていたのが小津安二郎の映画を見るようになり、
なんつうこともあるのではないでしょうか。
もちろん人それぞれですから、早くからクラシック音楽にも日本画にも小津安の映画にも
多大なる関心を寄せてこられた方々もおいででしょうけれど、
結構こうしたことは一般的なこととして言えるところなのではないかと…
個人的な感想として思うところです。
で、日本画に戻りますけれど、
(これも個人的印象かもですが)洋画の技法で描かれた日本の風景には
概して馴染みにくいケースが多いのに対して、
これが日本画になると妙にぴたっと来るような気が。
これとは反対に日本画の技法で描かれた西洋風景というのも、
(これまた概してですが)思いのほかかちっと来ないケースがままあるような。
やはり描く技法のようなものも、長年の間に自ずと描かれるものにマッチする形で
発展を遂げたものかなと思ったりもするところです。
概して…と言いましたけれど、
ちょっとこうした傾向と趣きを異にすると感じるのが東山魁夷作品かなと。
(あいにくと康耀堂美術館には所蔵されてないようですが)
先に訪ねた御射鹿池
から生み出された「緑響く」のように
東山作品には日本の風景にももちろん素敵なものが数多くありますけれど、
ドイツに留学し、オーストリアや北欧
にも旅してまわった画伯にはたくさんの西洋風景があり、
どう見たって日本画でありながら、不思議としっくりいってるように思うのですね。
これは、取り分け寒い地方の乾いた空気、そして長い秋冬の枯れた感が
日本画に馴染むところなのかもしれんと、思いつきですが。
…とつらつら書いていて、はたと気付けば康耀堂美術館のことというよりも
東山魁夷のことになってきてますですね。
タイトルが「康耀堂美術館編」とは看板に偽りありになってるような…。
こうなったら最後まで東山で行きますが、康耀堂美術館で日本画を見て回る以前に
頭の中には東山魁夷があったので、こうなってしまったという経緯があるのですね。
それは、先に御射鹿池を訪ねたからというよりも、もっと直近のこと。
美術館に立ち寄る直前に尖石遺跡を見て回っていたわけですが、
そこで「あ、東山魁夷だ!」と思ったのですよ。
遠景部分はまるで違っていますけれど、
すうっと伸びた道が遠くで右にカーブしながら消えていくあたり、
どうしたって東山魁夷の「道」を思い出してしまった…と、こういうわけなのですね。
と、このようにあれこれ探究の道は決して一直線ではないものの、
曲がりくねりながらも先へ先へと繋がっているということでもありましょうか。