こないだの口直しに普通の芝居が見たくなって(というと、カムカムミニキーナ に失礼ですが)、
俳優座劇場のプロデュース公演「もし、終電に乗り遅れたら…」を見てきたのですね。


「もし、終電に乗り遅れたら…」@俳優座劇場

出演者の面々は俳優座はもとより、文学座とか劇団昴とか青年座とか、

いわゆる昔からの劇団の方々で、しかも取り上げられたのはロシアの戯曲、

アレクサンドル・ヴァムピーロフ作の「長男」というもの。


舞台の上で「アンドレイ」だの「ナターシャ」だの「ニーナ」だのと語り掛けあうのを見て、
「ああ、演劇だぁね」と思ったのでありますよ。


原題は「長男」ですが、公演タイトルは「もし、終電に乗り遅れたら…」。
登場人物のシチュエーションをそのまんまタイトルに使っていますけれど、
「長男」ではどんな芝居か想像が付きにくい分、キャッチーなものを選んだということですかね。

(ただ、きちんと最後のセリフにつながっているのは、見事な仕立て!)


で、タイトルでは「もし」と、さも仮定のように響くものの、
登場人物たちは間違いなく終電を逃してしまっており、

ロシアでは春とはいえ夜も更ければ凍える寒さ。
さて、彼らはどうする?てな具合に始まるわけです。


こうなると、どうしたって個人的な失敗談を思い出すことになりますが、
それをとやかく書かずとも通勤電車で毎日行ったり来たりしている人たちの数だけ
実にさまざまな失敗談が転がっていることでありましょう。


とまれ、この芝居で終電を逃してしまったウラジーミルとセミョーン、

凍える体を少しでも暖めたいと、近くの集合住宅に目星をつけて次々に扉を叩いては

「しばしの暖を」と希うのですな。


「そりゃあ難儀じゃなぁ、旅のお人よ、何にもないあばら屋じゃが入って温まりなされ」
などと言ってくれるような大らかな時代ではもはやなく、胡散臭がられるばかり。

まあ、世知辛い世の中、というよりどんなトラブルに巻き込まれるかも分からぬ世の中では
致し方ないところでありましょうねえ。


そんな破れかぶれの状況の中で、きっかけをつかんでとある家に招じ入れられた彼ら、
応対した少年ワーセンカに向かい、セミョーンがウラジーミルを指さして

「これは君のお兄さんだよ」と紹介してしまう。


帰ってきた父親アンドレイも怪訝そうにしながらも、

兵隊時代に唯一身に覚えのあることと符合することから
「息子よ」と歓待し、「お前が我がサラファーノフ家の『長男』だ」と大喜び。


苦し紛れの口からでまかせが

見ず知らずの人たちにあまりにもすんなりと受け容れられる様子に、

そしてサラファーノフの家族にはあれこれ問題を抱えているらしいことを見てとって
ウラジーミルは積極的に「長男」を演じ続けざるを得なくなっていくのですね。


状況の設定自体は誰でも思いつきそうな話(失礼!)で、

途中途中で時折ぼろが出そうになる度に繰り出される言い繕いや戸惑いごとに、

ほのかな笑いが提供されることが続く点で、コメディーとしての成功は

ある意味約束されていると思うところですけれど、とにかくこれをどう落とすかが最大の問題ですね。


そして、そうしたお終いへ持っていくために、
話の展開の中におしまいが無理でないことにつなげる要素を

いろいろと放り込んでおかなくちゃならない。

この辺りがそもそも作者の腕の見せ所ですし、

演者たちも演技の見せ所ということになろうかと。


ポイントはサラファーノフ家の家長たるアンドレイの人の好さでありますね。
家長という言い方をしましたけれど、ロシアも古い時代ではなく、
家族はとかくばらばらになりがちなところで何とか均衡が保たれている状態。

父親としても家長なんつう言葉は頭の中で郷愁の風に吹かれているだけかもしれません。


そうした思いでいるところへ突然に

そのアンドレイに逢いたい一心でやってきたというウラジーミルが現れた。

アンドレイにすれば自身の存在感が一気に高まったと感じたことでしょう。


話せば話すほど好人物である長男(そういう役柄を演じなくては仕方がない状況ですが)に
「本当の息子なら、こうでなくちゃいかん」との思いも募らせたのではなかろうかと。


それで肝心なお終いの部分は?ですけれど、
全ての偽りが白日の下に晒されても、もはや何を真実として考えるかは当人次第。

例え事実でないことを知っていても、当人が「そうではない」と思えばそれが真実ですね。


たぶんウラジーミルは本当に(といっても義理の、ですが)息子になるんだろうなあと

想像させるようなニーナ(アンドレイの娘)との関わりに幕が下りた後の余韻を残しているあたり、
心憎いともいえましょうか。嘘から出たまこと、瓢箪から駒ですかね。


と、ここまでお読みいただいたとしても、結局何のことやら?となりましょうから、
その際にはヴァムピーロフの原作「長男」に当たっていただくのがよろしいかと。


長男;鴨猟 (現代のロシア文学)/アレクサンドル ヴァムピーロフ

そう言うだけだとちと投げやりですから、自分としても読んでみたですが、

舞台同様に何らの小難しさもなく(舞台同様なのは当然ですが)すうっと入って来ますですよ。

ウラジーミルとニーナのやりとりは「ト書きではこうなっちゃうんだぁ」といささか赤面ものですが、

舞台を追体験するのではない方にはこうなってないと、さすがに読み取りにくいでしょうね。


でも、原作戯曲だけでも十分に面白い。戯曲だけにあっという間に読み終えられますしね。

お近くの図書館でどうぞ(笑)。