伊香保温泉周辺のことを長々書いてきているわりには、

温泉街のことにはちいとも触れずに来てしまいました。

ですが、ようやくにしてそこら辺に話が及ぶ段となりましたですよ。


伊香保御関所の建物の奥に小さく石段が見えていたのですけれど、
これが伊香保でいちばん伊香保らしいところと言われる石段街の、

その一番下のあたりということになります。


ですが、ここらあたりは昔ながらのではなくして、後から延伸された部分でしょう。

今ではさらに下を通る国道まで石段を延伸した結果、段数が365段となったそうで

「伊香保の石段登って、てっぺんの神社にお参りすれば一年寿命が延びる」

とは誰も言ってないですが、そんなことが口コミで広がる密かな意図があったりして…。


伊香保石段街からの見晴し


ちょうど石段を背にしていかにも新しいと思しきあたりを振り返るとこんな感じ。

これをもそっと登っていきますと、両側の軒が狭まってきて、

それだけでも歴史を重ねたっぽさが増してきますですね。



伊香保石段街を見上げる


沿道両側に並ぶ店々も軒を狭めてガチャガチャとした印象があります。

土産物屋、飲食店、そして射的なんかができるお店があるというあたり、

いかにも温泉場だなぁというところでしょうか。


ところで上の写真では段々に文字が刻まれていることに気付かれるかと。

これは、与謝野晶子が大正4年(1915年)に作った「伊香保の街」という詩なのだそうで。

せっかくですから、書き写しておくとしましょう。

榛名山の一角に、段また段を成して、
羅馬時代の野外劇場の如く、
斜めに刻み附けられた桟敷形の伊香保の街、
屋根の上に屋根 部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿である。そして、榛の若葉の光が
柔かい緑で 街全體を濡してゐる。
街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、
長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
Hの字を無数に積み上げて、
殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。

それにしても「ローマ時代の野外劇場」とは大仰な…と思うところでして、

狭い街路としてはむしろヴェネツィアの裏道に近い気がしますけれど。

(もっともヴェネツィアの路地はこんな坂道ではないですが…)


とまれ、こうした一文を寄せるわけですから、

与謝野晶子も伊香保の湯がお気に入りだったのでしょうね。


でもって、その伊香保の湯でありますけれど、

黄金(こがね)の湯、白銀(しろがね)の湯という二種類がありまして、

名前の通りに前者が黄褐色、後者は無色透明の温泉です。


そのどちらにも今回は入りましたですが、多分に印象の域を出ないものの

黄金の湯の方が断然に「いい湯だな」ではないかと。

こちらの方が歴史的にも伊香保の本来の湯であるようですし。


宿によってどちらかを引いている(両方のところもある)ようですので、

伊香保にお出かけの際にはお気にとめておいていただいた方がよろしいかも。


ちなみに、石段街の脇には温泉を引いている樋(?)があるようで、

ところどころが透明の窓になっており、温泉の流れを見ることができますですよ。


ところで石段街の下の方ばかりになってますが、上の方はといいますとこんなふう。

夜にふらりと出てみたですが、日曜の晩だったからでしょうか、

がらぁんと人通りも無く…。


夜の石段街@伊香保


そして、振り返ると…。


josh's journal


ぼぉんやりと闇の中に浮かぶ伊香保神社の鳥居…。

おぉお、何かこわ!こういうの苦手なんですよね。

夢見の悪くならないうちに、そそくさと退散したのでありました。