近頃はどうも「語り口調」が速いような気がしますですねえ。

TVを見てると顕著に感じるところでありまして、

例えば昔々のニュース映像などを見ると実に実におだやかに喋っておられる。


ですが、最近ではマシンガン・トークが当たり前のご時勢になっているような。

それだけ世の中全体のスピードが速くなっているということでありましょうか。


と、今さらのようにこうしたことを申しますのも、

久しぶりにシェイクスピア劇を見てきたことにもよるのでありまして。


お題は「ヴェローナのニ紳士」、

シェイクスピアが20代後半に書いたとされる初期作だけに

余り上演される機会もないように思いましたので、足を運んだような次第でありますよ。


ハイリンド公演「ヴェローナの二紳士」@吉祥寺シアター


しかしまあ、劇中で炸裂しまくるマシンガン・トーク!

戯曲「ヴェローナのニ紳士」が発表されたのは1559年だそうですから、今から450年ほども前のこと。

その頃からシェイクスピアは言葉の速射砲を展開していたのでありますなぁ。


もっとも劇中に詰め込まれた膨大な言葉の量を処理するのにどの程度の速さで行うかは

演出次第ということになりましょうから、今回の公演では全体が2時間でまとまってたですが、

シェイクスピアの時代にはもそっと掛かったとして、どのくらいの上演時間でしたろう。

気になるところではありますね。


さて、お話でありますけれど、

ヴェローナのニ紳士とはヴァレンタインとプローティアスという二人の若い貴族のこと。

彼らは友人どうしであります。


恋人ジュリアとの逢瀬に夢見心地でヴェローナを離れないプローティアスを残し、

ミラノの宮廷でひと旗上げようというヴァレンタインがミラノへ向けて出立する場面から始まります。


この別れの場面に、やおら尾崎紀世彦の「また逢う日まで」が流れるという。

同じく歌が流れると言う点では、後にミラノ大公登場の場面では、

「ゴッドファーザー愛のテーマ」がかかり、大公自らひとくさり歌うという場面も。


何とも自由な演出だなと思うと同時に、「おや?」と思ってみれば、

「ゴッドファーザー愛のテーマ」の日本語訳詞版を歌ってたのも尾崎紀世彦であったなとなると、

よほど尾崎ファンが関係者においでなのでは…と勘ぐってしまうところでありますね。


ところで、プローティアスの恋に夢中のようすを笑っていたヴァレンタインも

実はミラノ大公女シルヴィアと恋に落ちてしまうのでありますが、

シルヴィアにはシューリオという許婚が大公によって決められていたのですね。


このシューリオは金持ちのぼんぼんで頭の中も行動もまるで子供といったふうですから、

シルヴィアがヴァレンタインの方を向くのも当然で、大公の許しが得られないなら

二人で駆け落ち!という算段をするわけです。


そこへ「お前もヴァレンタインのように、ミラノでひと旗上げてみよ」と

父親に送り出されてきたプローティアスが現れますが、

あろうことか、プローティアスもシルヴィアに一目惚れしてしまう。


一方、そんなことも知らずにジュリアはプローティアスに会いたい一心から

男装してミラノまで旅してくるのですね。

さあ、ミラノの地で一同が会しててんやわんやの大騒ぎに…。


まあ、例によって?他愛もないストーリーであることは若書きなだけに尚のことといった印象ですが、

逆に若いだけにいろいろ試すつもりもあったのか、珍しく「犬」という配役があって、

もちろんひと言も喋らない役ですが、うまく笑いを誘う材料につかっています。


Wikipediaには「『シェイクスピア正典中、最も場面をかっさらった喋らない役』とも言われている」と

ありますから、当時の観客も大笑いしたことでしょう。


加えて、お馴染みの道化役が複数登場(ヴァレンタイン、プローティアスそれぞれの従者)するのも、

ドタバタコメディならでは活かせるところを使ってみて、知ったことでありましょう。


お話の詰めとしては、ハッピーエンドにまとまるように何もかもがあっさりと赦されてしまうあたり、

え?!と思うくらいの浅さにも思えたりもしますけれど、

何百年も前に大衆を沸かせたシェイクスピアのお話は

何百年経ってもまたいかようにも見せることができるコアを持っているのだなと

改めて思ったところでありますよ。