…ということで 、伊香保温泉から帰ってまいりました。


今でこそ東京からなら新幹線+バスでも車でも

2時間余りで到着できてしまう伊香保温泉でありますが、
例えば漱石 が訪れた明治の時代にはそうそう簡単な話でもなかったはず。


例えば明治時代の「るるぶ」ともいうべき?「明治日本旅行案内」という本を見てみますと、
今でいう交通アクセス的な紹介がこんなふうにされているのですね。

東京―本庄間の鉄道が開通するとともに近年高崎から先の道路が改良されたことにより、東京から伊香保まで一日で容易に到達できるようになった。高崎あるいは前橋まで鉄道が通じた暁(おそらく一八八四年夏までには開通するであろう)にはわずか六、七時間のたびとなり、手軽な遠足を楽しむ拠点として推薦される伊香保は、間違いなく日本人ばかりでなく外国人にも好まれる保養地になるだろう。

現在の最寄駅である渋川はおろか、前橋、高崎までさえも鉄道の通っていない時代とあっては

さぞや大変であったろうと現代から考えれば思うところながら、

一日がかりの移動程度で大変だと思っては、旅などできようはずもないということになりましょうか。


ましてこの本を書いた人というのは、
幕末から明治にかけて英国の外交官として日本に赴任したアーネスト・サトウなのでありますよ。


公務多忙でもあったろうにと思うところですが、このサトウさん、
通算25年もの日本滞在の間に、日本全国をよくまあ訪ね歩いているのですね。
その結果が「明治日本旅行案内」というわけです。


明治日本旅行案内 東京近郊編 (東洋文庫)/アーネスト・メイスン サトウ


と、アーネスト・サトウがご推奨だからということではありませんが、
こたび伊香保であちらこちらを見て回る中では、
軽井沢を発見(?)したのが外国人宣教師であったとかつて探究したように
ここ伊香保にも外国人の保養地としての名残が見て取れたのですね。


そして、行ってみて初めて知ったのですが(3回目ながら、以前は単に宴会が主目的…)、
今でこそバスで登る伊香保への道にはかつて(明治43年から昭和31年まで)

伊香保電車なる鉄道が通っていたのだそうな。


伊香保電車

こうしたことも、外国人客があったればこそ

スイス などの登山鉄道を模して鉄路が敷かれたのではないかと思うところであります。


アーネスト・サトウの頃には人力車で、

登り坂がきつくなると途中で降りて歩かねばならなかったそうですが、

その後には伊香保電車が走り、そして今では路線バスで登る、標高800mほどの伊香保。
見て回ったことなどを何回かに分けて書き留めておきたいと思うところでありますよ。