動物としての「ヒト」 は他の動物がそれぞれ独自の進化をしていくなかで
(他の動物にとっての進化が人間に近づくことを指標としているわけではありませんが)
これまた独自の進化を続けているものと思われます。


他の生物の進化は、身体というか形態というか、
そうしたことが変わってくるという形がもっぱらかと思うところですけれど、
「ヒト」の場合にも、例えば日本人の背が高くなったり脚が長くなったり(?)という
外見の変化もありましょうけれど、どちらかというと社会環境との関わりの中で
「考え方」の変化という形で現れているような。


これを生物学的な進化と呼ぶかは別問題とも言えましょうから、
これから先は「ヒト」でなくって「人間」という言い方をしますが、
その変化した考え方のひとつとして、
「自分さえよければ他人はどうなっても知ったことではない」的な考え方が横行しているのでは。


資本主義という社会の仕組み?も人間が進化の過程で編み出したもので
取り敢えず永らえているのは「欠点もあるけれど、他に代わる仕組みが見いだせない」てなところかと。


ただ、そうこうするうちにどうやら資本主義は尖鋭化してきているような気がしますですね。
あくまで個人的な受け止め方ではありますが。


資本主義にはいろんな意味で「もっともっと!」の意識を持つことが動機付けになったりしますが、
元来資本主義が持ち合わせている競争原理にまでも「もっともっと!」が通用するように
なっているような。


いつのころからか「勝ち組」という言葉が使われるようになって、
ブログの世界でも「勝ち組になるためには」というものがやたらに多い。
もっとはっきり「金儲け」を煽るようなものも目に余る状況ではないかと。


「勝ち組」が出るとするとその裏にはおよそ「負け組」がでることになって、
どこかで誰かが金儲けをすれば、どこかで誰かが損をしているように思います。


取り分け(寅さんではありませんが)額に汗して儲けた金ならば、
労働を提供した対価ということになりますけれど、
利殖のようなものはそうではない。


素人にはまるで分からないようなシステムでもって儲かる人がいる反面、
なんだかよく分からないうちに家を失ってしまうような人がでる。
で、儲けてる人たちにはそうした背景には目を向けようともしない。


巧みな(常人には理解しがたい)システムを作り挙げる頭の良さで儲けて何が悪いと、
そういう人たちは思っているのかもしれませんですね。


映画「インサイド・ジョブ」を見て、そんなふうに思ったですよ。
そして、こんなふうな考え方が普通にある社会を人間は作ってしまったのだなあとも。


インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実 [DVD]/ジョージ・ソロス, エリオット・スピッツァー, バーニー・フランク ポール・ボルカー


みんなが平等に…てなことはかなりきれいごとだとは分かっていますし、
実際享受するものを平等にするなら、

各自が提供する、負担するようなところも平等でないとおかしくなりますが、

そのどちらをも均等に全ての人にとはいかないのが現実でしょうから。


だからといって、今ある状況がそのままに進んでいくことが良いこととはとても思われない。
たぶん「インサイド・ジョブ」の話はこの映画の中だけに留まるものではないからでしょう。


でも、きっといつかはまた何かしら違った形に変わっていくのではないかと。

それが人間の培ってきた見識に裏打ちされたものであることを願うものでありますよ。


あ、映画の内容には触れませんでしたけれど、
ご存知ない方はお手数ですが「インサイド・ジョブ」で検索してみてくださいまし。


ただ、英語の「inside job」は内部犯てな意味らしいですよ。
生物としての「ヒト」なんつうところから始めた話ですので、

もそっと科学的な側面で語れればいいのですが、
内部犯なんつう言葉を聞くと「人間の内側にある邪悪なもの」てなことを想像してしまいますですね。