最初にお断りしておかねばと思いますのは、古い古い話だということ。
さすがに戦前とか、海外渡航解禁前後とか、そこまで古くはありませんけれど、
いまでは(Wikiによると)100タイトル以上出ているらしい「地球の歩き方」が

ヨーロッパ編とアメリカ編の2冊だけで、ちょうど中国自由旅行編(当時はそういうタイトルだった)、

インド編あたりが加わったかどうかという頃合いの話になります。


大学4年の1月だったでしょうか。
卒業単位は取ってしまっており、難儀をした就職活動も何とか終え、

暮れの演奏会でもって部活も引退、じわりじわりと学生という身分が終わることに

切実さを感じ始めたわけですけれど、社会人として毎日が仕事ということになっては

おそらくできないであろうことをやっておこうと思ったわけでして、
それがヨーロッパをひと回りしてみようということでありました。


ひと回りというからにはある程度長い期間が必要ですし、
長い期間となれば会社勤めが始まっては難しいというくらいの想像はつきましたから、
今をおいてはないと考えたのですね。


ただ、思いつくのが遅すぎて行動を起こしたのが1月になっていたことと、3月に入ると

内定先の研修(強制ではなかったですが、でといた方がと思ったわけで)があったことから
その間に2月中旬から3月始めにかけて3週間の渡航期間を取るのが精一杯。


当初妄想が膨らんだのとは思惑違いに短い日程になってしまったものの、
だからといって行かないという選択はもはや気分的にはあり得ない状況でありました。


まあそんな話を友人にする中で「2月のヨーロッパだし、スイスでスキーしようかな」と言うと、
のってきたのが一人おりまして、二人で出かけることになったのですね。

大学で自分は第二外国語としてドイツ語を選択しており、

友人がスペイン語を選択していたものですから、互いに補いあってひと回りしようじゃあないか!

とそんなふうになったのではなかったかと。


そして、申し込んだのが

先日ちいとばかり触れたDST(ダイヤモンド・スチューデントツアー)でして、
エールフランスの北回り便で往路はパリ乗継でロンドンに入り、帰路はパリからという具合。


今でこそ欧州線のフライトはノンストップで目的地まで

およそ12~13時間で到着するようになってますが、
当時はソ連の上空を通過できない関係で、まずはアラスカのアンカレッジまで飛んで約6時間。
そこでワンストップしたのち、北極上空を通り過ぎて

パリまでだいたい10~11時間くらいだったですかね。


ちなみに少しでも安くあげたい向きには南回りというフライトがあって、
東南アジアやら中近東やらにちょくちょく止まりながら行くのもありましたが、
とにもかくにも個人的には国内線も含めて一度も飛行機に乗った経験がなかったものですから、
少しでも時間のかからない方を選んだということになりますが、
それでも長い長い旅路でありましたことよ。


ところで、当時の日本から欧州線は

アエロフロートが自国の上空を飛べる以外は全てアンカレッジ経由で、
一度飛行機から降りることになりますが、このアンカレッジ空港というのが

奇妙なところだったのですね。


飛行機を降りて待合室へ向かいますが、何せ手持ち無沙汰。

そこであたりを(といっても当然空港の中ですが)見て回るわけですが、

どうもずいぶんと日本語が飛び交っているようす。


何となれば、ずらり並んだ売店の売り子がみんな日本人(日系人?)のおばあさんなのですね。

日本人旅行者がひと頃まではアラスカ経済に貢献したのではと想像しますけれど、
欧州線が全て直行便となった今では、アンカレッジ空港はどんなふうになっているのだろうか、

あの売店で生計を立てていた人たちはどうしたのだろうかという興味を抱くところでもありますよ。


飛行機の中では、エールフランスですから当然ながら、

フランス語か片言の日本語か(英語でもOKなんでしょうけど)。

で、スチュワーデス(当時の言い方です)が「コーヒー?紅茶?」などと回ってきますけれど、
コーヒーをもらっておあいそ的に「メルシー」などと口にしてしまったら、
「☆※▼§‡…」とフランス語(たぶん)が返されてしまい、

あまり不用意には使えんなという教訓を得たのでありました。


そんなこんなの時間を過ごして辿りついたパリ。
ロンドン行きに乗り換えることになっているわけですが、

どこをどう行って乗り換えるのかがさっぱり分からない。
何しろ初めて乗った飛行機で、空港なんつうところにも慣れておらず、フランス語は読めないし…。


ですが、そこを何とかしたのでしょう。ロンドンには辿りついたのですから。
「地球の歩き方」には(今でも同じかは知りませんけれど)ヨーロッパ最初の目的地として

ロンドンが推奨されてました。


それこそ英語能力は人それぞれではあっても、看板が読めたりする可能性が高いわけで、
旅に慣れるにはまず英語圏でということであったような。

とまれ、こうして3週間の旅は始まったのでありましたよ。