藪から棒に思い出したようにですが、

GWのときにCSのヒストリーチャンネルで「聖杯伝説の謎」という番組を見たのですね。


するとコロンブスの航海(「意欲に満ちたコロンブス」ですから「いよくに」で1492年)の遥か以前に

アメリカ大陸はヴァイキングによって発見されていたということを前提として、

異端とされ廃絶されたテンプル騎士団の逃げのびた騎士たちが一時スコットランドに隠棲した後、

ヴァイキングの開拓した航海ルートに乗って新大陸アメリカに渡ったのだという話でありました。


タイトルの「聖杯伝説の謎」と言いますのは、
蓄えた財の多かったテンプル騎士団の財宝の象徴的なものとして聖杯があるところから来てますが、
こうした財宝もまたアメリカに運ばれ隠されたのだという考え方もあるということでありますね。


ヒストリーチャンネルも、

何やら手を変え品を変えて徳川埋蔵金の特集番組を作り出す日本のTV局と大差ないのか

と思ってしまうところですけれど、そこはそれタイトルをキャッチー?にしたものの、

あまり聖杯そのものや宝探しに重点が置かれたというよりも、そもそもテンプル騎士団の残党は

果たしてアメリカにまで本当に来たのか…という方がクローズアップされていたような。
(と、なんと今度は平家の落人伝説で、こんな山村まで来てたんですよみたいな話になりかかりますが…)


海沿いの場所に橋頭堡のような遺跡が残されているとか、はたまたアメリカ大陸の真ん中、中西部でも

古代ルーン文字(簡単にはヴァイキングの文字ともいえましょうか)を刻んだ石板が見つかったりしている

とかいうことを紹介して「なるほどねぇ…」と思ったり。
(アメリカ中西部でも、大西洋からセント・ローレンス川やハドソン川を遡上して五大湖に出ると船で行けちゃうようです)


されどよおく考えてみますと、そもそもその名前はよく聞くものの、

「テンプル騎士団」のことをもそっと知っておいた方が…と思い立って、

図書館から借りてきた「テンプル騎士団の謎」という本を読んでいたわけですが、
ひとまず読み終えたところだと、まあそういう話でありますよ。

(これでGWの話からリアルタイムの話になりました)


テンプル騎士団の謎 (「知の再発見」双書)/創元社


キリスト教徒にとってエルサレムは聖地として巡礼に赴く場所なわけですが、
今に至るもやっかいな話としてはキリスト教にとってだけ大切な場所なのではないということですよね、

エルサレムは。


ですが、「聖☆おにいさん 」のところで言ったように宗教どうしが仲良くとは現実的ではないのでして、
こうした宗教間のせめぎ合いの中に合って、キリスト教の側からすれば

エルサレムへの巡礼を危うくする者は排除しなくてはならない、
巡礼者を守らなければならないことになってしまうのですね。


巡礼者に対して手を差し伸べることは相当昔からあったようですけれど、

これが武装化した騎士団(騎士修道会)の体をなすようになるのは
イスラム教徒によって奪われた聖地エルサレムを奪回しようと十字軍が組織される、

そうした機運の中でのようです。


西洋史の中には○○騎士団というのがよく登場しますけれど、成立の順から言えば

聖ヨハネ騎士団、次いでテンプル騎士団、少し遅れてドイツ騎士団ということのようで。


これはエルサレムに関連した成立事情があるということで、

例えば「ラス・メニーナス」という作品の中のヴェラスケス自身が身に付けた十字の衣が象徴している

スペインの聖ヤコブ騎士団もやはり12世紀の成立ですけれど、こちらはもっぱら

サン・ティアゴ・コンポステラへの巡礼守護をしていたのですし、
ブルゴーニュの金羊毛騎士団は15世紀と遅れた時期にもっぱら異端排除を目的としていたそうな。

このあたりが、エルサレム起源の騎士団とは出自の違いがあるようですね。


でもって、エルサレム出自の騎士団に関連する年代をちと整理しておきますと、

1095年のクレルモン公会議で教皇ウルバヌス2世が唱道したことから、
翌96年に第1回十字軍の遠征が実現し、99年にはエルサレムを奪還することになりますけれど、

この辺が背景になりましょうか。


エルサレムが奪還されたとなれば巡礼の行き来もまた数を増してくるということになるのか、

1113年に聖ヨハネ騎士団が成立するのですね。

といっても、この団体の正式名称は「エルサレム聖ヨハネ救護修道会」というものだそうで、

その名のとおりに巡礼でやってきたものの病気になってしまったとかいう人たちの

救護をするのも大きな目的であったそうな。


こうした救護のための施設は十字軍が組織される以前からあったといいますので、
本来の起源はこうした点にあるのでしょうけれど、それが外敵からの守護をも目的として

武装化していったことが騎士団(騎士修道会)と言われる由縁なのでしょうね。


聖ヨハネ騎士団に遅れること6年、

1119年にやがてテンプル騎士団と呼ばれるようになる「貧しきキリストの騎士修道会」が誕生します。

やはり修道会であることが前提となっているわけですが、

聖ヨハネ騎士団の名称には「救護」とあったのに対して、こちらは最初から

「騎士」との名乗りがあるだけでも、こういっては何ですが戦闘色が強いというかなんというか。


そうは言っても聖ヨハネ騎士団とテンプル騎士団はまだ拠り所は同じというべきで、

世俗とは一線を画した修道会として神に仕える形であるのが、
1198年にできたドイツ騎士団はエルサレムの病院から始まったとされる出自はいいとして、

その後破門された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世のもと、
あたかも世俗君主を頭に戴いているような点で大きく前二者とは異なるようです。


とまれ、巡礼者の守護に大きな功績があったればこそでしょうか、
「貧しきキリストの騎士修道会」はエルサレム王から王宮内に敷地を与えられるようになったのですが、

これが神殿の一部であったことから神殿=テンプルの騎士と言われるようになったそうでありますよ。


エルサレム王の覚えもめでたく、ということは巡礼者からも感謝されることしばしで、

多くの寄進を得るようにもなっていき、エルサレムのみならず西欧(特にフランス)各地にも

騎士団の領地(騎士修道会ですから修道院と言うべきか)をたくさん持ち、
併設の農園経営でも多くの実りを得た、つまりお金持ちになっていったわけですね。


これはローマ教皇の庇護もあったからこそなんですが、

やがてこうした宗教的優遇、経済的繁栄等などが妬みの元ともなって、
やがて来る冤罪(背信的な秘儀などなど)による騎士団解体を招くことにもなったのでありましょう。


ここで冤罪と言いきってよいかどうかは歴史解釈で分かれるところなのかもですが、

とまれ「驕れるもの久しからず」とも最初は思われても、

騎士団の助けに預かった人たちもたくさんいたわけで、

今度は「義経伝説」(実は生きてモンゴルに渡りチンギスハンになった)のような
「テンプル騎士団伝説」がいろんな形で語り伝えられたりすることになるという。

冒頭で触れたスコットランドからアメリカに渡った、フリーメーソンの元になった云々と。


全部が全部、これまた伝説と言いきっていいかどうかは不明のところもあるのでしょうけれど、
とまれ最初のTVの内容に近いところまで来たところで、

テンプル騎士団予備知識編としてはこのくらいにしておくとしましょう。