前にブログを書いてから何か月も経ってしまいました

今回、少し長くなります

 

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夫が亡くなった時はまだまだ元気だった私の両親も

一昨年に母、昨年に父と相次いで亡くなった

 

両親とは何十年も疎遠だった

詳しくは書かないが

今風の言い方をすればいわゆる「毒親」

つまり虐待する親だった

 

夫もそれをよく理解し間に立ってくれていた

 

が、亡くなる間際、夫は私に

両親と仲よくやって欲しいと言い残した

 

それがズーンと重くのしかかっていて

夫が亡くなってからほどなく、二十年ぶりくらいに実家を訪ねた

 

でも、それが限界だった

いくら夫の遺言であっても私の心が保たなかった

 

それから紆余曲折があり

追いつめられた私はカウンセラーさんと繋がることになり

 

そして、とうとう二人とも亡くなった

 

葬儀には行かなかった、行けなかった

 

年齢的には平均寿命を超えた両親は

親戚や近所の人の目には

恵まれた人生を送った良い人と

見えていたようだ

私の弟でさえそう思っていたのだから

 

 

先月、急に思い立って故郷のお墓参りに行ってきた

息子が運転してくれた

 

数十年ぶりにお詣りしたお墓は

墓石がちゃんとしたものに変わっていた

そこに両親の名が彫られているのを見た時の気持ちは

表現のしようがない

ただただ、万感の思いがこみ上げてきた


 

私と同様の体験をした人ならこれを分かってくれるかもしれない

 

が、

 

「なんて親不孝な」

「ありえない」

「自分には考えられない」

 

このように感じる人が世には多数存在するのも分かっている

私自身、そういうことを口にする親戚と会うのは怖い

 

 

 

 

お墓では不思議と涙は出なかった

 

私はもう何十年も前から

親と和解できるとしたら

この世ではなく

あの世に行ってからだ と考えてきた

 

その頃のあの世のイメージは

キリスト教の学校で教えられた

ぼんやりとした「天国」

 

夫が旅立った今は

あの世はもっとはっきりと実体をもったものと考えている

そして、これからも関係は続くのだと

 

 

母は料理が得意だった

 

私たち家族が行くと

必ず大きな金目鯛の煮付けを出してくれた

 

昼食に寄ったお店で

金目鯛の煮つけ定食を迷わず注文したのは

そんな思いがあったから

 

無人となった実家の庭には

柚子がたくさん生っていた

最後の記念に柚子を10個もいできた

ゆず茶をつくるつもりで

 

そうしたら何故か

帰りの田舎道のまんなかに

はちみつ専門店を見つけた

まるでゆず茶のために忽然と姿を現したみたいに

とても不思議だったが偶然とは思えなかった

 

 

ゆず茶は瓶三つ分できた