昨日なぜか

このことが思い出されて仕方なくなったので

お見舞いのことを書こうと思う

 

あくまで

夫の場合に限っては

ということで

 

 

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夫は病気のことを

誰にも知らせなかった

 

親しかった友だち

親戚

誰にも

 

それが夫の強い希望だった

 

なのにどこからどうやって聞きつけたのか

最期に近いある日

友人の一人が奥さんとともにお見舞いに来た

 

その日私が病室に着くと

「○○さんが来てしまった」

と夫は苦痛に満ちた顔で言った

 

明るく元気だった夫は

病気でやせ細り

声も出せないほど弱っている姿を

かつての仲間には

見られたくなかった

見せたくなかった

のだと思う

 

私は病院と相談して

面会制限の札をかけてもらうことにした

 

 

 

葬儀では長男が挨拶をした

 

参列してくださった人たちはみんな

いったい何があったのかと驚いていたと思う

 

長男は病気の経過などを簡単に説明し

父はみなさんに心配をかけたくない気持ちがあって

だれにもお知らせをしなかった

元気になってから「実は……」と明かすつもりでいたから

という趣旨のことを話した

 

そうしたら、例のご夫婦が私のところに来て

 

そんな気持だったとは知らず申し訳ないことをした

 

と奥さまが謝罪された

 

そのとき自分がなんと答えたのか覚えていない

 

 

それが、夕べ

この一連の出来事がよみがえった

 

正直にいえば

私は今もあのご夫婦がゆるせない

夫の気持を踏みにじったことがゆるせない

あの日の辛そうな夫の顔が忘れられない

 

実は、もう一つ、全くの別件で

その人(夫さんの方)の人格を疑ったことがあった

が、それはここに書くことができない

 

向こうの世界にいる夫は

そんなこと、今や少しも

気にしていないに決まってるのに

 

ゆるせないのは

私の逆恨みかもしれないのだけれど

 

 

世の中には

最期には会いたい人に会って

今までのお礼を言って

さよならをしたいと

考える人もたくさんいると思う

 

それも一つの見事な最期の迎え方であろうと思っている