娘のところから帰ってきて

またふだんの生活にもどった

 

非日常から日常に戻ると

いやでもいろいろな現実に直面せざるをえない

 

夫は亡くなる1年前に早期退職して

小さなカフェ兼雑貨店を始めた

 

それまで公務員だったから

まったくの異業種だ

 

まあ、一種の道楽(というほどお金に余裕はなかったが)で、

趣味と実益を兼ねられたらラッキーくらいの感覚だったし

もともと自己肯定感の高い人で、

やりたいことは実現できるという信念があり

実際にこれまでそうやって人生を生きてきた人だった

 

開業に当たって借金を一切しなかったから

年金がでれば夫婦二人でささやかに店を経営しながら

暮らしていくことは難しくないと思っていた

 

人と接することが好きな夫は

お客さんと話すのを楽しみにしていた

教え子や近所の大学生などが来て

将来の夢を語ってくれたりするとすごく応援していた

 

子どものことで悩む親たちからも

頼られていた

 

正直経営は赤字だったが

夫は自分で選択した道に満足していた、と思う

 

でも、それは一年だけだった

あっという間に夫は亡くなり

あとは軌道に乗ったとは言い難い店が残された

 

私には仕事もあったし

店をたたむ選択肢はあった

 

物事に執着しないタイプの夫は

店を続けてなんて思っていなかっただろうとも思う

 

でも、私自身の気持ちが

夫の夢だった店をすぐにやめてしまいたくなかった

 

同居する息子が

店は自分のために父が残してくれたような気がする

と言った

息子と二人で、週末だけ店を開けることにした

 

店を続けてよかったと思う瞬間もたくさんある

カフェだからこそ、知りあいが気楽に立ちよれる

 

コロナが落ち着いたからと

2年ぶりに遠方から足を運んでくれたお客さんが

夫が亡くなったことを知り心から悼んでくれたこともあった

 

そんな出会いに泣きそうになるくらいうれしい時もある

 

それでも、最近とても疲れてしまった

店を開ける日に朝から暗くなっている自分を発見する

負担、なのだと思う

 

自分の完璧主義的なところも災いしている

やるからにはきちんとしないと、

と自分にプレッシャーをかけている

 

息子にすべて任せたいと何度も思い、

そんな話し合いもしてきたのに、

いざとなるとできないのは

自分の性格のせいだ

 

いや、息子を信頼していないのかもしれない

 

そういう堂々巡りをして一歩も進めなくなる

 

夫が遺してくれたのは

いったい何だったのか

このことにどんな意味があるのか

それをいつも思う