3年前の4月下旬、毎年恒例の人間ドッグに行った夫が、

少し気になるところがあるから

別の病院で検査してもらったほうがいいと言われて戻ってきた。

 

そのとき、私は車で駅に迎えに行き、

夫が来るまでの間、カフェでのんきにロイヤルミルクティーを飲みながら待っていた。

その時点で何の体調不良もなかったし、また異常なしといわれるに決まってると思いながら。

 

 

その日から、私たちの人生は一変した。

 

その足ですぐにかかりつけの先生のところに行き、

紹介状を書いてもらった。

 

紹介された総合病院でも、こんな症状は見たことがない、

自分にはわからない、もし悪いものだといけないから、

念のためにがんセンターでしっかり検査してもらったら、

ともう一度紹介状をもらった。

 

がんセンターであらゆる検査をしてもがん細胞はみつからず、

でも、ドクターはがんを濃厚に疑っているのが明らかで、

試験開腹して細胞を調べるなどという話もでてくるくらいだった。

 

その後のことは、辛すぎて書く勇気がない。

 

結果的には、原発不明がんであり、もう何の治療の選択肢もない状態だった。

 

夫も私も事態が飲み込めず、医師からはっきり

「治らない」ことと、「余命」を言われるまで、いや、言われても、現実のこととは思えなかった。

 

がんが判明してからわずか2か月半で夫は逝ってしまった。

自分の予言? どおり、自分が生まれた日に。

 

いままたその季節がやってきた。

ここから夏まで、まるで坂道を転げおちるようだった。

 

亡くなったのは夜で、それからいろいろな手続きとか、亡くなったあとの処置?とか、

葬儀社への連絡とか、いろいろとあって、

午前二時をまわってから葬儀社の車を先導しながら家まで運転した。

 

心身ともに限界状態だったのに、よくやれたと思う。

 

街灯に照らされた、人っ子ひとりいない深夜の道を走りながら、

「ああ、夫の人生はおわったんだなあ」

としみじみ考えたのを思い出す。

 

深夜に何度もめざめてしまう日々が、あれ以来ずっと続いている。

 

そんなとき、自分がこの世にひとり残されてしまった現実が突きささってくる。

 

慰めは猫の存在。

名前を呼べば走ってかけつけてくれる。

 

この瞬間、部屋にたった独りぼっちだったらと想像するとぞっとする。

 

今年も夏まで、耐えられるかな。