夫が亡くなって、見えるようになったこともある

本当の心遣いをしてくれる人がわかるようになったこともそのひとつ

 

仕事上でも個人的にも20年くらい親しくしていた友人。

よく気が回り、親切で、信頼できる人だった。

病気のことは伝えていなかったけれど、亡くなったときには早い段階で連絡した

 

最初の返事は「!!」の絵文字。つぎに「葬儀の日程おしえて!」

お悔やみのことばはなかった。

 

日程を伝えると、「ごめん、その日は〇〇で行けない」

〇〇は、彼女がもう何年もご主人と二人でライフワークのようにめぐっている場所。

夫を亡くしたばかりの私に、わざわざ言うかな、葬儀日程も教えてといわれたから伝えただけだったのに。

 

翌日、彼女が家に来た。

ことばにつまる私に、「うちの主人もびっくりしてる。おれよりずっと若かったろうって」。

でも、夫は彼女のご主人とは一度も面識がないのだ。

(ちなみに「びっくりした」と近所の人を含め何人もにいわれた。お悔やみのことばのつもりかもしれないけど、ぜんぜんお悔やみになってないから)

 

それから彼女はお香典とお茶の葉を一袋差しだした。

これでお客さまにお茶出しして、ご主人にかわって、お世話になった皆さんにちゃんとあいさつしなさい、それが今のあなたのつとめだから、子どもたちのためにもしっかりするのよ、と諭された。

 

子供はもうみんな成人している。むしろ、私のほうが子供に頼っていた。

「子供はしっかりしているからだいじょうぶ」と返すのがせいいっぱいだった。

 

このやりとりを耳にした長男は、「なんだ、あの上から目線は!」と怒っていた。

 

その後も違和感のある事を何度か言われた。今までの彼女とは別人みたいに配慮がなかった。

 

いつもはあんなに気遣いの人なのに、どうしてなんだろう。

いくつか自分なりに理由を考えてみたこともある。

単に私が彼女を見損なっていただけだったのか。

それとも、彼女にとって人の死というものは、世間で起きるありきたりの出来事のひとつでしかないのか。

結局はわからないまま、彼女とは連絡を断っている。

 

こんなことを書いて、おまえ自身はどうなんだと、別の自分が言う。

うん、私もきっと体験しないうちは彼女以上に配慮のない事を言っていたかもしれない。

 

配偶者を喪う体験をした今ならわかる。

少しはマシな人間になれているのかも。

できるなら、こうならないで成長したかった。