夫が亡くなってもうすぐ一年と七か月。
夫とは一歳四か月違いだったから、ある日、私は夫と同い年になっていた。
その日、私はひとつ決めたことがある。
夫の年齢を追い越してしまう前に、自分の遺影を撮ろう。
(実際は日数的にはもう追い越しているのだけれど)
ちょうど、知りあいがカメラマンとしての生活をスタートさせたと聞いた時だった。
私は、理由は言わず(彼女は夫が亡くなってからの知りあいなので経緯は全く知らない)、年末までに遺影を撮ってほしいと伝えた。
私の誕生日は12月だから。快諾してくれた。
その撮影日はまだ来ていない。予約もまだ。
撮影の前までには事情を話そうと思っている。彼女は心意気のあるカメラマンだから、きっと気持ちをわかってくれる。
問題は、私がこの先うっかり三十年も生きてしまった場合。
そのときの自分の容貌なんて想像つかないけれど、きっと遺影とのギャップはすごいだろうな。
それでもかまわない――と思っている。
というより、夫が死ぬという人生最大の悲しいできごとの前では、その他の何もかもがどうでもいいことに思えてしまう。
これは、ひょっとしてすごい強みかも、と時に思ったりする。
このセンを極めたら、どんな展開になるのかな。