男女平等でいられなくなる、男女の奥底にある『恥の意識』 | 〜全惑星意識の旅〜愛と星よみ〜 Tao KAORI

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愛と星よみ Tao KAORI
(たお かおり)
全惑星意識は愛への梯子。恋愛や人生が苦しい時、宇宙法則にふれることで『愛の創造性』を思い出すブログです

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~全惑星意識への旅〜

 



●9月4日(日)東京対面セッション募集中 
残席1名




ある程度 自立性の意識を
1人 1人が持とうとすると
精神的にも 経済的にも
自由を感じる生き方に繋がりますよね指差し





そうはいっても
女性の自立自体が難しくなった過去がある
男性が偉くて女性は劣る』泣き笑い
といった男尊女卑な価値観が
江戸時代から色濃くなったようです




そこから 女性は生きる術として

『強いものについていき
強い男性に守られて
養われていくことが幸せ』



と この頃に浸透した




でも 古墳時代まで遡っていくと





女性も男性も『違い』はあったけれど
女性には女性としての役割があり
政治的な参加もあったようですし 
そのことが象徴されてるのが卑弥呼ですね




日本は国自体も戦後に
『何かに頼る精神』になり


男女の精神性も 恋愛であれば

女性は男性に守られる価値観が育ちます




男性がリードするべきの観念は
形を変えながらも
現代まで続いている





日本はジェンダー平等ランキングにおいて

2022年の146カ国の中の
世界で116位でしたがガーン

もしかしたら
日本は男女平等の在り方が 
そもそも、一体どんな感じか?
想像出来ないのかもしれない






パートナーシップを専門にして
結婚相談所で勤務しながらも

大多数の男女の
価値感を リアルに聞いてきましたが


ジェンダー平等に向かって
社会では 男女が対等に扱われるべきと指差し

女性も仕事では対等を求めているのだけど
恋愛の場面や、結婚の場面になると

男性がリードするのが
当然でしょ⁈

と急に お淑やかな感じで
女は3歩さがって…みたいな?
価値観がでてくるんですよひらめき




つまり 
公の場所では 男女平等なので
女性の尊厳を主張したい指差し

でも プライベートの場面になると 

急に 男性に意見を言えない汗うさぎ
男性に決めて欲しい、といった 
男性任せの受け身意識が顔をだす



そして 
恋愛の相談では 女性の積極性は
出すべきではなく

●女として 恥ずかしいこと

●女性にそんな事させないでくれる?


『男に静かについていく姿勢が美しい女の姿』
といったような美学が垣間見える


でも この複雑な鋳型をもってるのが
『日本人』の特徴なのかもしれませんがねニコニコ



全てにおいて『主体的で生きる』ことに
コミット出来ないし、しない

●日本の政治も、主体性を確立したいと望みながら強いものに守られていたい感があり


●男女においても主体的で自分らしい
人生を望みながら、恋愛では男が主体で
女性は受け身でありたい



全てにおいて
独特のチグハグ感があるし
それが 日本人らしい魅力指差し




自立的であったり 主体的で生きることに
独特な日本的な『葛藤』がある根本に
気づいていない状態では


どんなに男女平等を訴えても
表向きは、男女平等的に見せたとしても
精神的なところでは結局のところ
『男性が決めて、女性が守られるべき』
根っこがあれば

多分 見せかけの男女平等になるのでは?




男女平等とは

●女性が男性のように生きることではないし
●男性が女性のように生きることではない




お互いの違いを理解した上で
サポートしあったり、協力しあうことが
対等な関係


男性の方が 肉体的に力が強く
自己防衛するため攻撃性などの
火星の使い方は 女性よりも慣れているので


そういった部分は男性に
サポートしてもらえると
お互いを支えあえるし指差し


かといって 女性に↑力がないのかといえば
女性には 女性なりの精神的な強かさとか、
力ではない精神的な攻撃力や防衛心は持っているものですキューン


だから、どちらが偉いとか、優れているとか
『〇〇すべき』なのではなく


お互いの違いを 理解しあいながら
当然に 支え合うことをするのが
男女平等の世界に繋がっていく



そうすると
男性も 女性も お互いに自立的になり
『ありがとうね、助かるよ』と
感謝の気持ちも自然にわくはず指差し





『男たるものは』『女たるものは』強い男性像のイメージの中で 
無自覚に囚われて 頑張ったり

女性にも『女たるものは』という
受容性の高い女性のイメージで生きようと
目指すことは ありますが



出生図でみていくと
男性とか女性といった風に 本来わけてないので





男性であっても 受動性=女性性が馴染んでる人
女性であっても 主体性=男性性が馴染んでる人


がいます





だから 
江戸時代の性別的な鋳型に捕まっていると
それは 思い込みであって
本来の自分には合わない生き方
をしていれば、それは苦しくなるネガティブ

対等とは
『男女の違いを強調することではないし
それぞれの違いを理解した人間らしさ』みたいなことかもしれません




コロナ前に 
仕事などで海外に行っていたころ



海外に住んでいる日本人や 
海外の男性と交際している人などを見ると


やはり日本は
ジェンダーの違いが強いように思ったのですが


例えば
『女性に決定権を待たせない』みたいな感じが


歪んでいった無意識から

女性か決定権を持たせないでよ!

とか
意見する女は、生意気で恥ずかしいこと!


みたいな考えが
男女間の中で強いのかな?と

海外の男女をみて
日本との違いを感じたことがあります



例えば



●女性や奥さんが バリバリ稼いで
夫が世話好きで 子育てや
家事をやるのが得意だから得意な方が支え合う


●休日になると奥さんがトラクターに乗って
『私がこれやるから、あなた、これやって』と、指示しなががサクサク 女性が農場でトラクターをのりまわす


●男性が家で 暖炉に火をおこしてる間に
女性が 薪が足りないからガレージにゆき
割ってくるわ♪と力仕事を率先する



という場面を 多くみてきました




その際に 奥さん側が


『なんで私がこんな事を
女なのにしなきゃいけないの!!』ちょっと不満

というような拗ねた感じや
女性として扱われてないよね⁈

といったような
怒りのエネルギーが全くなかった







きっと これが現代の日本であれば
まだまだ



●えっ⁈女性がそんな事するの‼️あんぐり
●えっ⁈女性がそんな事するなんて可哀想ちょっと不満
●えっ!?女がそんなのするの恥ずかしい不安
●そこは男性がやるべきだし、なんか、優しくないし、みっとも無いよねちょっと不満



という風に
心の中で見てしまう人は多いと思う



日本人の精神には 恥の意識が強く
独特な葛藤があるので
それらが 男女の主体性を蝕むことに
繋がりやすいのでは?



独特の男女観の葛藤に気づかないと無自覚に



●男女に対して差別的な見下し感や 
●何かを小バカにするような意識は消えない



ように思う






愛=全惑星意識の世界観とは


孤立することではなく
全ての人々が それぞれに

『主体性』を持って生きることに目覚め
『主体性』をお互いにもつ人間が 
お互いに助けあい、支え合うことが 
愛で繋がると思います




積極的に、主体的に生きはじめると

自分の出来ること 出来ないことが
謙虚にわかり始めるので周囲の人に

『助けを求めれる』し
『〇〇して欲しいの』と

主体的にいえるし、周囲に対しての
『感謝の念』も自然にわいてくる姿勢になる





でも人は、主体性がない時には


やってもらえることが当然となりやすいし
自分の弱さを向気合わないで
なんとなく思いどおりにしようと
コントロールが働くので



その生き方に甘んじている時には
真に 相手への感謝の念がわかないもの



日本は『感謝』が当然だったような
国民性と言われますが



それは 縄文時代や古墳時代までは

男性が女性が『〇〇するべき』とか
あなたが私が『〇〇するのが当然』とか


そういった 意識があまりなくて
お互いが主体的になれるからこそ
『感謝の念』が自然にわき、だからこそ
『感謝』が循環するようの鋳型が 
古くにはあったのかもしれません








先日 実家の隣りにある宝塚古墳の



はにわ館には 140点あまり出た

当時のはにわがある



と書いてあったので母親に連れて

もらってきました


偽物なんじゃないかと思うぐらい

美しく、エネルギーに迫力があり

しばらく離れられませんでした




でも ここに訪れた時に

今日 ブログに書いたような


古墳時代あたりから ゆるり ゆるりと

分離的な性差がうまれ どんどんと

男女の鋳型が深く でき始めていく…



みたいなメッセージが、埴輪全体から

ビジョンとしてやってきました