自分は一応、中国語と英語ができる。中国語で言えば、2014年6月にHSK6級で189点というスコアを取得している。その後台湾に10カ月留学したので、今受ければもう少し高いスコアが取れるだろう。ちなみにCEF(ヨーロッパ言語共通参照枠組み)によれば、HSK6級の180点以上はC2(Mastery)、「聞いたり、読んだりしたほぼ全てのものを容易に理解することができる」レベルであるらしい(個人的な感覚で言うと、絶対そんなことないと思うが)。英語の方は、2016年1月時点でTOEFL iBTが90点。その後もこつこつ勉強しているので、今受けたら100点はいかないまでもそれに近い点数が取れる(ような気がする)。すごい得意というわけではないが、英語のインプット・アウトプットはそこそこできる。
しかし、ここまで来るのに支払ったコストは、中国語と英語ではずいぶん違う。中国語を勉強し始めたのは2012年4月からである。しかも,そんなに真面目に勉強していたわけではないので、平均すれば1日1~2時間程度の学習時間だと思われる。台湾大学に留学する前も、台湾の東海大学や中国の大連外国語大学に3週間~1カ月程度短期留学していたが、それを加味しても中国語の習得にかけたコストはたいしたことない。
他方、英語の習得にはなかなかに時間がかかっている。読む論文はだいたい英語だし、英語の授業にも出てディスカッションや期末ペーパーを書いたりするし、最近は英会話もやっている。にもかかわらず、10数年勉強してきた英語よりも、たかだか4年勉強した中国語の方ができるという状態である。
理由はおそらく、母語、つまりは日本語との近接性である。多少違いはあるが、中国語も日本語も漢字を使う。日本人が中国語の学習において読み書きで苦労することはほとんどない(リスニングやスピーキングは別だが)。一方、英語は日本人にとって非常に異質な言語だと言える。文字がそもそも違うし、単語を覚えるのにも非常に苦労する。文法や語法も日本語とはかなり違う。日本語と英語は、質的にめちゃめちゃ異なる言語なのである。したがって、帰国子女でも無い限り、英語の習熟に苦労する人が大半であろう。
しかし、先日紹介した通り、ほとんどの分野において普遍語は英語である。英語ができないということは最先端の研究にアクセスできないことを意味する。また、英語でない言語で論文を書いたところで、読む人はかなり限定される。政治学のトップ・ジャーナル(例えばAmerican Political Science Review: APSR)に、論文を載せている日本人がほとんどいないのも、言語的なハンデが主たる原因の一つだと思われる。
こうなると、日本人に生まれた悲哀を感じざるを得ない。英語ができないというだけで、研究の最先端にアクセスしにくいというのは、非常に心苦しいものである。また、英語で論文が書けなかったり、英語で学会発表ができなかったら、それだけで研究者としての価値あるいは影響力は下がる。最近は「なんで自分はアメリカ人に生まれなかったんだろう」と腹が立つことも多い。
まぁ、ぼやいていてもしょうがないので、こつこつ時間見つけて勉強していくしかない。「自分はこのハンデに、絶対に屈したりしない」という強い気持ちをもって、英語に立ち向かっていきたい。時間はかかるかもしれないが、野球のイチローが言っていたように、「回り道が一番の近道」だと自分も信じている。
しかし、ここまで来るのに支払ったコストは、中国語と英語ではずいぶん違う。中国語を勉強し始めたのは2012年4月からである。しかも,そんなに真面目に勉強していたわけではないので、平均すれば1日1~2時間程度の学習時間だと思われる。台湾大学に留学する前も、台湾の東海大学や中国の大連外国語大学に3週間~1カ月程度短期留学していたが、それを加味しても中国語の習得にかけたコストはたいしたことない。
他方、英語の習得にはなかなかに時間がかかっている。読む論文はだいたい英語だし、英語の授業にも出てディスカッションや期末ペーパーを書いたりするし、最近は英会話もやっている。にもかかわらず、10数年勉強してきた英語よりも、たかだか4年勉強した中国語の方ができるという状態である。
理由はおそらく、母語、つまりは日本語との近接性である。多少違いはあるが、中国語も日本語も漢字を使う。日本人が中国語の学習において読み書きで苦労することはほとんどない(リスニングやスピーキングは別だが)。一方、英語は日本人にとって非常に異質な言語だと言える。文字がそもそも違うし、単語を覚えるのにも非常に苦労する。文法や語法も日本語とはかなり違う。日本語と英語は、質的にめちゃめちゃ異なる言語なのである。したがって、帰国子女でも無い限り、英語の習熟に苦労する人が大半であろう。
しかし、先日紹介した通り、ほとんどの分野において普遍語は英語である。英語ができないということは最先端の研究にアクセスできないことを意味する。また、英語でない言語で論文を書いたところで、読む人はかなり限定される。政治学のトップ・ジャーナル(例えばAmerican Political Science Review: APSR)に、論文を載せている日本人がほとんどいないのも、言語的なハンデが主たる原因の一つだと思われる。
こうなると、日本人に生まれた悲哀を感じざるを得ない。英語ができないというだけで、研究の最先端にアクセスしにくいというのは、非常に心苦しいものである。また、英語で論文が書けなかったり、英語で学会発表ができなかったら、それだけで研究者としての価値あるいは影響力は下がる。最近は「なんで自分はアメリカ人に生まれなかったんだろう」と腹が立つことも多い。
まぁ、ぼやいていてもしょうがないので、こつこつ時間見つけて勉強していくしかない。「自分はこのハンデに、絶対に屈したりしない」という強い気持ちをもって、英語に立ち向かっていきたい。時間はかかるかもしれないが、野球のイチローが言っていたように、「回り道が一番の近道」だと自分も信じている。