11/2(日)11時、阪急交通社貸切公演。
チケットプランでS席21-24列縛り
一枚@11500円
7プランほど応募して、これだけが当選しました。
一昔前は阪急交通社の貸切の当選確率はもっとよかったと思います。最近はなかなか…
皆さんよくご存知と思いますが、阪急交通社は3列刻みくらいで料金設定をしています。しかも、前方は食事または宿泊付きのみで、一枚あたりチケット代プラスだいたい4000 円以上からの価格設定。提供されるランチの質的にはちょっと疑問のある価格ですが、ま、手数料込み?
昨今チケット代の値上げラッシュで、S席の範囲が広すぎるという不満が噴出しているのを見ると、阪急交通社のやり方は理にかなっているのかもしれないという気がしてきました。払ったお金の多寡によって座席の位置が決まる。その範囲が前後3列程度なら我慢もできようというものです。
友の会やチケットサイトの抽選だと、1列目でも最後列(24列)でも同料金ですからね〜
とあれこれ言ってきましたが、私の今日の席はその最後列最下手。
前は階段通路のみで座席はないので、若干舞台は遠いものの非常に見通しのいい席。なんなら客席降りのジェンヌさんがわざわざタッチに来てくれました。ちなつさんとじゅりちゃんの入場も目の前で、ラッキー(^^)v
この周辺だけなのか?手拍子をする人がほとんどなく、とても心細い観劇となりました。ちなつさんをオペラで見ていて手がふさがっているのか?とうさんくさく思うほど、拍手が薄いのよ…
初見の時も感じましたが、思ったより芝居寄りで、音楽もなくセリフの応酬だけの場面がとても多い。
後半、アデレードがネイサンに激しくキレてケンカする場面で、シンとした時どこからかハクションとオジサンのクシャミが…折しもアデレードがクシャミをしながら言い合っていたところで、あまりのタイミングにあみちゃん思わず固まってしまいました。こういうところ、たとえば本人のセリフの中からとって「ストレスですか?」とか客席に返せれば最高でしたが、あまり自由度のないコメディなので、アドリブは考えてなかったのでしょうねぇ。紅さんとか北翔さんならスマートに対応できたかもしれないな〜。こういうことは、持って生まれたセンスですからねぇ。固まったあみちゃんがかわいくて、あたたかな控えめな笑いが起きました。
しかし、おっさんのクシャミというものは所も時もかまわずなんだからヽ(`Д´)ノ
よりによってこのタイミングですか…。
閑話休題。
外国の作品を日本で演ることのハードルについて、気になることがありましたので二つだけ。
貨幣価値のこと
賭け金やらショバ代やら、お金の多寡が気になりませんでしたか?外国の作品を翻訳する時、どこまで自国に寄せるか多少考えると思うんですが、子どもの頃上田敏の『海潮音』を読んで、大感激したワタクシとしては、日本人にスンナリ受け入れられるように訳すのがベターと思っていて、「前金で1000」とか、「5000手に入った」とか「25000負けてんだ」というお金が、実際の感覚的には幾らなのかがわりに気になりました。
この物語の1950年頃は1ドルは360円の固定相場ですが、たとえばクラップスのショバ代として要求されている1000ドルは、このレート換算なら36万円ということになります。危ない橋を渡る保証金として妥当な金額なのかはわかりかねますが、もちろん今と物価も違うでしょうし、数十万円くらいな感じですかねー?イベントを回す立場でありながらそのお金を即金では払えないネイサン、というのが彼の現況を表していますね。ハリー•ザ・フォースが「オヤジから5000(駄賃で)もらって(ちょっと懐があったかい)」と言っていますが、ちょっと懐があったかいというのは、ギャンブラー的には幾らくらいなんでしょう?2-3百万円かな?クラップスに一度に賭ける金額がビックジュールは200(ドル)、当時のレートなら72000円。キリ良く10万円か20万円というところか?一晩で25000ドル負けている彼は、1000万円以上の損失になるかもしれません。そもそもギャンブラーに縁もないので、その金銭感覚も想像でしかないのですが、やはり「円」に換算してみると身にしみます。ただこの作品で「円」と貨幣単位を付けちゃうと世界観が壊れるので、敢えて観客の想像に委ねているんだろうなぁ〜
宗教のこと
もうひとつは『座れ、舟が揺れる』という後半の大ナンバー。
これも宗教の地盤のない日本人にはなかなか腑に落ちない展開ではないか?と思います。「舟が揺れる」というのは、信仰心を表していると考えられることが多いです。でも、限られた時間の中で説明になってもつまらないでしょうし。
救世軍については年末の募金活動の社会鍋ぐらいしか知りませんが、渋々お祈り集会に集まったギャンブラー達がカートライト将軍に促されて罪の告白をしていくので、自助グループのようなものなのか?と思いながら見ていました。同じ悩みを持った人たちが集まって悩みを共有し一緒に対処法を考える、いわば開かれたやり方を提唱する集団。
救世軍はプロテスタントの一派だそうですから、旧体制とは違う方法をとっているのでしょうか?カトリックでは罪の告白は聖職者と一対一で、お互いの顔さえも見えないよう格子で隔てられた小さな部屋で行います。最近の宝塚の作品で言えば、宙組の『Zorro』で瑠風輝演じたラモンが神父様に告悔を行う場面がありました。告悔が権威も含め重々しいものであるのに対し、お祈り集会における罪の告白は、むしろ明るい雰囲気です。罪を認めることで魂が浄化されるとでも言いましょうか。ちょっとばかりご都合主義のような気がしないでもありませんが、楽しいからまぁいいか…と思わせてしまうのは、憎めない愛すべきギャンブラーたちと、楽曲を含めた作品の明るさのおかげなのかなーなどと考えながら拝見しました。
来週ガイズ最後の観劇があります。
私にとってはみちるちゃんの姿の見納め。理屈を忘れて楽しみたいです。

