2/10(金)13時 、e+貸切公演は娘にチケットを譲って、私は仕事に。観劇が続いたので少し自粛ww


宝塚時代の望海さんを生で見たのは、退団公演が最初で最後という娘。それとても会の要請で振り替えたチケットが日程の関係で自分では見られず、むりやり行ってもらったようなわけで…。望海さんについては、当時は「とんでもないものを見た」という感想で、その後宝塚をあれこれ観るようになってなおさら、異次元の歌うまという認識を深めていたよう。

さてDreamGirsを観に行くことになって、彼女にあらすじをざっと説明すると、「望海さんで、歌よりビジュアルの役ってちがくない?」と言ってましたが、帰ってきたところで感想を尋ねると、

「あの望海さんでもこれか~って感じ」「みんな歌うますぎん?」

私と同じく、共演者の技量に感心した様子でした。


で、こんなの改札で配られてたと。イヤなんの需要が?笑笑

梅芸貸切の千社札の方がよかったなー



梅芸貸切のほうはこちら。

カタカナの書体も千社札らしいですね。



さてここまで観劇記録としてはミュージカルの出来についての感想だけで、作品の根本について触れてきませんでした。

本来は人種的な問題がベースにあって、黒人アーティストの地位向上がメッセージのひとつでしたが、オール日本人で演じる上でまさか黒塗りにするわけにもいかなかったと思うし、やはりそこはなかなかうまく伝わってはいなかったと思いました。キャデラックの歌を白人にパクられたところは、かなり悩んだ末の演出だったなー、と。私は映画を見ていたので想像できましたが、初見の人にあれで「白人の歌手」だということが伝わったか?ちょっとビミョーでしたね。なんかすかした変な男が出てきた、みたいな感じだったかと(笑)

単に、地方の無名の少女たちが成功を納めるまでのシンデレラストーリーという大筋になったのは、外見上やむを得なかったのかな~。

それ以外では、グループの変わらない友情物語があったり、自分の意志でやりたいことを選びとっていくべきだという決断があったり、人種的な問題はなくてもいろいろなことが心にとどきました。


もうひとつ気づきとして受け取ったのは、仕事と、恋のパートナーは切り離したほうがいいということですかね。どちらかダメになったとき、共倒れになりがちですし。男も仕事も盗られたとわめくエフィは惨めすぎました。しかしそんなに冷静には分けられないのもまた、人の気持ちなのでしょうけど。

エフィに娘がいて、その子が生き甲斐でよかった。

父親が誰なのかは女にとってはもはや関係ないってのが最終的なオチだった気がするのは、、、時代かな。