10/5(水)1330

月組グレートギャツビー、一階S席下手。

なにかとお世話になっている団体の観劇会のかたからお誘いいただきました。


本日のながめ




幸いなことに今日で5回目。予定どおり観劇が叶いました。直前の花組が全滅だったことを思えば、よくぞ!という思いです。

観劇を重ねられたことで、物語を様々な側面から堪能しました。


今日はこの芝居の出来映えはさておき、筋書きについての感想です。

現代とは違う世情、外国のはなしということを差し引いても、私には共感は難しい話だったということがまずは前提で。


 出会い

そもそも主人公のギャツビーは上昇志向の強い人間で、出征前に地元のお嬢さんがたの慰問を受ける時点から、経歴を詐称していますよね。デイジーの母親の調査により素性を暴かれて、そのことはデイジーに言わないでほしいと懇願して彼女の元を去っています。でも思慕の念は絶ちがたく、復員後に裏社会でお金を得ると、彼女に再び近づくために彼女の家の向かい岸に家を建てて、(こう言ってはなんですが)網を張ります。なんとも大がかりなストーカー行為に驚かされるばかり。


ギャツビーが亡くなった後、訪ねてきた父親が言うように、きっと幼い頃は貧乏ながら一生懸命に学び、考え努力する少年だったのでしょう。そして国のために役に立つ人間になろうと考えていたのは嘘ではないと思います。でも大人になったときには、そうした努力では報われず、生まれによって生じた差は埋めがたいことを知ってしまっていた。聡い青年ではあった、でも愚かだった。嘘から始まった出会いは、土台が脆いことに気づけなかった、それか、気づかないふりをした。彼に共感はできないけれど、哀れには思います。


一方デイジー。お金持ちのお嬢様で社交界デビュー前の18歳、評判の美人。父親が溺愛し、好き勝手にさせていたお陰で『気まぐれデイジー』と称されるおきゃんな娘。おとなしく敬虔なほかのお嬢さんがたと比べて、おそらくはそんな自分本位なところも魅力的。偶然のカップリングでギャツビーと出会い、たちまち恋に落ちた気がしている(のだと思う)。なにしろこれまで一対一で年頃の男性と接したことはなかったと思われるので、やることなすこと新鮮だったに違いない。親の目線から見るに、一途に燃え上がる恋心がいじらしくは思うがあやうい。配属が決まった軍人の彼と、一緒に行けると思っているところがなんとも世間知らずで呆れるばかり。


この二人がどうあれば幸せになれたのか?

まずは素性を偽らない出会いをすることが肝。


持ってないものはない上に、純粋無垢で気まぐれなデイジーには、生まれや経歴やお金や美醜など、様々な修飾は不要ではなかったかと。裸のジミー・ギャッツでぶつかって、愛を深められたのではないかと思うと、はなからのボタンのかけ違いが残念。

デイジーにふさわしくある為には財産がなければと思っていた彼は、元々金持ちの家に生まれて望めば全てが手に入ると思っているトムの、裏返しとも。

いずれにしてもお金。

最初から最後まで腑に落ちないところかな。


次に、ギャツビーと別れたデイジーが幸せになる道もなくはなかった。熱心な求婚者のトムが、デイジーを一筋に愛してくれれば、そこはそこで完結したはず。

夫婦が仲睦まじく過ごしていれば、ギャツビーもチョッカイを出すのを我慢しただろうし、デイジーも貞淑を守るのにためらいはなかった。もっと言えば、ニックも二人に協力しなかっただろう。ただこの最低男トムは、妻を得るとほかにも女をつくった上に、拘束するだけで顧みることをしなくなった。愛情が注がれてないのには敏感な彼女は、虚ろな心を抱えて過ごしていて、そこにギャツビー、失われた初恋というピースが嵌まる。

成るべくして成った不幸の連鎖。


 別れ

デイジーのためにだけ生きてきた、と思い詰めているギャツビーは、愛しい人の身代わりとなれるのなら悔いはなかっただろうし、せめてそれで報われると思って死んだのだろうと思いたい。お金以外を捧げて役に立てた瞬間。それが命だったとは、、、やっとそこで純愛だったのだなと得心がいく結末が切ない。


しかしはたしてデイジーがそれに感謝したかというとなかなかにビミョー。はじめのうちこそ、「あの人を身代わりにできない」と出頭しようとするが、それを「パメラのことを考えろ」と、トムに止められてからは保身に転じて。

ギャツビーを失ったデイジーは、あの埋葬のときに彼とともに自分の罪を葬り去った。娘を犯罪者の子どもにしないですんだことにほっとしつつ?

死人に口無し。

ただニックは知ってるんだよね。もちろんトムも。そもそもトムが、ウイルソンにマートルをはねたのはギャツビーだと告げ口してる、どこまでも最低なやつ。プンプン

ちなつさん、ごめん。迫真の演技でした。


すげない献花はギャツビーを可哀想と思う全客席の反感を買ったに違いないけど、、、一輪のバラにこめた祈りは受け取れたつもり。

おそらくはこのあとの彼女の人生では、生涯トムにお前がマートルを轢き殺したと責められる気がする。トムのような人間が、妻の罪を共に背負い、黙って忍んでいくなどとは全く思えないし、あい変わらず外で女と遊びながら、もしそれをデイジーが咎めたら、自分が黙っていてやっているから何事もなかったかのように過ごせていることを思い知らせるだろう。デイジーの今後も決して幸福に満ちたとはいかないだろうと思うと、むしろ自分の罪を認め、ギャツビーとの恋に殉じた方が心の平安は得られたのかもしれない。デイジーもトムも自分かわいさに子どもを言い訳にしたに過ぎない。

ちなつさん、ごめんあせるイヤらしさ大成功でした。


子どもというものはいつか、親から離れて一人で立って歩き出す強い命。いっとき母親が罪人ということで悲しい思いをさせるかもしれないが、それを生涯引きずったりしない。幼い命の力を信じてる。

ましてやパメラはそれこそ『アメリカの貴族の娘』。さすがのトムも娘だけはなんとしても守るだろうし。ね?


でもそれは幕が降りたあとの話し。


余韻が残りますね。


一人一人のキャラクターが丁寧に繊細に作られているので、生き方に共感はできないとしても彼らの心の機微がくっきりと、舞台に息づいていたのを感じます。


心の動く、いい芝居を生で何度も見られて本当に幸せでした。

月城かなとの代表作としてずっと語られる作品になるでしょうね。 


千秋楽まであと少し。無事の完走を祈ります。