8/28(日)19時

心中恋の大和路、ディレイ配信で視聴。


青年館でチケットがとれていたものの、公演自体中止となり、追加公演もはずれ。いずれ放送で見るしかないと思っていましたが、ディレイ配信のお知らせがあり、我が家は娘と二人で見るのでコスパは上等でして(笑)、配信で見ることに。


『伝統ある』という枕詞と共にいつも語られる作品。私は2014年壮さんの出演作を放送で見ていました。素材としてあまり好みではなく、録画も残さなかったので、今回和希そらで公演が決まったとき、見直したいと思いましたが叶わず、正直最後のまっつー(未涼亜希)の歌唱しか頭に残ってなくて、ほぼ初観劇といった感じ。


今回見たかった理由はただひとつ、和希そら。

見終わって、「これ壮さんでやったとき、どんなだったの?」と娘がふしぎがって聞くほどに和希そらにぴったりでした。

田舎の豪農(庄屋?)から持参金付きで大阪の商家の養子に入ったぼんぼん。優男な上にお金も融通がきくので、もててしかたない。郭でもてはやされて遊ぶうちに人気遊女と恋仲に、、、受け出したいがそこまでの財力はなく、あげく、お客様からの預り金に手をつけて逃走するはめに。という、まぁ社会的にはクズ男の成れの果てみたいな筋書き。

どこかで踏みとどまるターニングポイントは何回もあったろうに…と思えて、こういった話しに私はあい変わらず共感も納得もできないんですが、、、

たった一点理解できそうなのは、梅川の気持ち。苦界と言われる場所から抜け出せる喜びに勝る幸せはなくて、それを叶えてくれるのは愛する人でなくても(お金さえ払ってくれる人なら)可能だったけれど、愛し合った相手とつかの間でも二人きりで寄り添えた道行きは幸せだったのに違いないということ。なんともささやかで切ない願い。

商売女なら、あんたの方から愛想づかしをしてほしかったと愚痴る親父さまの気持ちもわからないではないけど、それは梅川には酷な注文。辛い年月を過ごしてきた彼女にとって、この逃避行はもはや夢のなかみたいだったんじゃないかな。責められてうなだれる梅川が気の毒だった。

 

かちゃの八右衛門はすごくよかった!忠兵衛の親友、少し年上なのかな?(出てきてないけど)もしかすると結婚もしているのかもしれない。忠兵衛の稚気の残る純粋さを好ましく思っているようで、仲良く楽しく付き合っているが、道理もわきまえており、頭の回転も早そう。忠兵衛をなんとか正道に引き戻そうと策をねるが、いろいろ裏目に出て却って追い詰めるはめに。それでも手代の与平(諏訪さき)と共に山奥まで追ってきて、恋人たちを追手からかばい、路銀と保存食を渡して「どんなに落ちぶれてもとにかく生き延びろ」と、もう生きて逃げ延びるのはムリだろうと思いながらも絞り出すような願いを伝える。その慟哭が歌唱に乗って胸を打つ。

前作でこの役をやったまっつーは、八右衛門をやれてもう思い残すことはないと退団を決意したとのこと。それほどの大役、演じ甲斐のある役なのだろう。かちゃでよかった。かちゃでなければ、ふさわしくなかったと思う。


忠兵衛の実の父親孫右衛門の汝鳥さん。二幕のラスト近くに一場面だけ出て、衆目をさらった。罪を犯した息子を憂える気持ちが、梅川とのやり取りに溢れて痛々しい限り。


梅川の夢白あやちゃん。一心に忠兵衛に捧げる心根が物憂げな美貌に映えて、この世ならぬ儚さがたまらなく哀しかった。フラサパでの女戦士もしびれたが、こういう男を惑わす魔性の女の役もはまってた。次期トップ娘役が注目されているが、充分応えうると期待。


手代の与平役のしゅわっち。花魁の花門に憧れているが身の程をよくわきまえていて、忠兵衛にむりやり連れられて郭に上がってもひたすら恐縮して縮こまっている実直さ。この与平の半分でも忠兵衛に謙虚さや用心深さがあったら、このあとの不幸は起こらなかったのにとタメ息が出るようなみごとな対比。でもまぁそれではお芝居にならなかったけど。与平の頑なさと、忠兵衛のお気楽さがあってそのあとの成りゆきに深みが生まれていたんだよね。


最後に、山奥でかちゃとしゅわっちとまなはるが揃ったので、手代だけでなく亀屋の番頭さんまで心配して追いかけてきてくれたのかと思って見ていたが、実はまなはるは忠兵衛の実家の小作人の役と二役。いやこりゃわからないわ。まなはるのように顔がよく知れた上級生が出てくれば、もう「まなはる」にしか見えないからね。セリフもほぼないんだし、この場面の小作人の役はもっとずっと下級生に振った方がよかったかな、というのが最後にひとつ残った残念点タラー

 

 東京のほとんどの公演ができなかった中で、追加公演を行ったすごいイレギュラー決断。貴重な公演なのに配信もないのかと思っていたところ、なんとディレイ配信という離れ業をやってのけたのに感心もしました。その手があったかひらめき電球長い試練のなかで、劇団の方針が変わる傾向の一端なのかも?とふと思わされました。