4/19(火)1830

セディナの追加募集でA席最前列上手。

お友だちを誘いました。

娘に来週の観劇を譲ったので今日がマイ楽。


見逃したところ、もう一度見たいところをチェックしつつ、今日は争いから離れて、ジョルジュとキャサリンとエレンの恋模様にフォーカス。サブタイトルが「ある愛の軌跡」ですからね。


みねりちゃん、はじめはテレサ役の方がよかったのでは?と思いましたが、やはりこの役はみねりちゃんでないとできなかったかなーと段々思えてきました。映画の制作発表の登場シーンから、最後にジョルジュに別れを告げる銀橋での歌まで、一流女優の気高さがあふれていました。フィナーレで大階段を降りてくるときも、ひときわ輝く人がいると思うとみねりちゃんで、、、なんとかどこかで娘①になってほしいかたです。

スカステの Now on Stageで、ききちゃんが「(エレンは)やりたい役ナンバーワン」と言ってましたが 、ききちゃんの大女優役見てみたいですねー。押し出し強そうです。笑


エレンは気位が高く美しくて、男性から追いかけられるタイプの女性。その彼女がプライドをかなぐり捨てて「その女(ヒト)のどこが私よりいいの?」とジョルジュに問いかけるのはなんとも切ない。同性から見て、『イヤな女』のある種の典型ではありますが、 いつもいつもかしづかれて手に入らないものなどなかった彼女が、唯一執着した相手は、彼女を離れていってしまった。皮肉なものです。ジョルジュはなかなか自分になびかない相手に疲れてしまったのかもねー。エレンも心の底では以前から惹かれていたと思いますが、プライドが邪魔をしてそれを素直に出すことができなかったのかなー、とちょっと哀れに思います。なにしろジョルジュは「(キャサリンが)同じものを見ようとする(ところが好きだ)」と答えるのですから。

それって、自分に寄り添ってくれる相手を望むということですよね? 戦争のさなかだけに、同じものを見たいと言うと従軍することに繋がるので、なんだかすごく積極的、進歩的であるような錯覚が起きますが、すごく平たく言えば、単純に一緒にいたいということなんでは?

戦いは男のもの、「女はここまで」と言われて引き下がるのが当時の一般的な考え方だったのか?テレサのように恋人を戦いに送り出し、銃後で帰りを待つのが普通だったのでしょう。それはそれで覚悟が要るとは思いますけどね。

 キャサリンは作家で、職業をもった自立した女性を表していると思うのですが、こと恋愛においては、好きな人のそばにいて同じものを見たいと願う、(現代から見ると)意外に古風な、ただ当時としたら目新しい考えかたに、ジョルジュは心を射抜かれたのかしら?


内戦が激しくなってからラジオ放送に関わるのをやめてほしいと願うジョルジュに対して、キャサリンが「私は私なりにこの街の真実を伝えていきたい」と言うところは、二人の関係の転換点。ジョルジュが「ぼくのそばにいてほしい、ぼくの言うとおりに生きてほしい」と言い、『(それって)男のエゴか』と葛藤していますが、そう、まさしく男のエゴですね (笑)。引き留めるのはプライドが許さないとも言っているので、理屈ではわかっちゃいるんですね。彼女の望みというか、行く手を妨げてはいけないことは。でも自分の手元か、あるいは安全なところにいてほしいとも願う。男性の保護本能でしょうかね。この時代、欧米でも女性の自立は稀有だったと思いますが、キャサリンはその先頭を走り始めようとしていたところだったかもしれないですねー。


命を懸けた写真を世に出してほしいという大義名分で、キャサリンをアメリカ(安全圏)に送り返すことに成功しますが、それずるいなー。「使命」を重要視するキャサリンには絶対断れないですもん。

でもまぁそのお陰で、キャサリンは帰国して(たぶん)忘れ形見を産み育てることになる。「君の中にぼくが生きてる」という歌はなんとも意味深。


男はロマンを追って去りますが、残された女はなかなかに厳しい現実を生きることになる。世代がいきなり孫に飛んでいて、キャサリンが子どもを育てている頃のことは描かれていませんが、支えてくれる人がいて幸せに過ごしていたことを祈ります。


余談ですが、ジェンヌさんはキャサリンよりエレンに惹かれる人の方が多いんですかね?ききちゃんもそうですが、たかこさんのディナーショーに出ていた、OGの華妃まいあちゃんも、やりたい役はエレンと言ってました。やりたい役って自分が共振できる役という要素が大きいですよね? 自分の気持ちはエレンに近いと感じているということなのかも、と思いました。

ちなみに私がやるとしたら誰か?と考えてみると(だれも聞いてないと思いますが笑)、テレサでしょうか。


早くもネバセイロス。

苦しくも記憶に残る佳作でした。

放送が待ち遠しいです。