12/1(水)1330

上手17列50番台。前の席の方はとても小柄で、見通しよかったです。

東京では2回目。団体観劇会にお誘いいただきました。


『柳生忍法帖』のイメージが強烈過ぎて、ショーになっても(銅伯出てきた)とか(あ、七本槍だ)とか意識の底でブレンドしてしまいますね。

堀主水はよく見つけるんですが、殿を見失いがち。あまりにビジュアルが違うのでなかなか脳内処理が追いつかない感じです。殿~!いずこに…?


ゴールデン・ディズの白い軍服姿の愛ちゃんと並ぶ、ちょっと濃いブルーの軍服姿の4人。慎くんと、ぴーすけと、天寿さんとで実に麗しくて目の保養なんですが、もう一人向かって左端の…もしや千姫のお側用人の修理では?大輝さん!!イヤイヤ最近こんなシュッとした格好覚えがないです。なんかとってもうれしい。


以前から何回か言ってますが、私は上級生がちゃんと活かされるキャスティングが好みです。でもほかのブログを拝見すると、上級生ばかりに役やセリフを与えるから下が育たないという考え方の方もいらっしゃるようで、星組はその傾向が強いのだとか。へー?

もちろん本番で経験を積むから掴めるものもあるとは思いますが、それでは、経験を積んできた人(上級生)はそれを活かすチャンスがなくていいのか?とも思います。急な抜擢で芽を出す生徒もいるとは思いますが、多くは「順々に」ではないかと思うのは保守的な考えですかね?上級生の背中を見て学ぶものは多いと思いますし、それに本番の緊張感で手応えをつかみ成長をするために新人公演があるのでは?本公演で下級生にも出番を回すというよりも、新人公演に同じ人ばかり主演をさせるのをやめた方がよほど効果が見込めると思いますが、いかがでしょう、劇団様?

毎年新しく下が入ってくる劇団では、詰まってくると押し出されて上が辞めていくことが多いですが、それではなんだか使い捨てのようで切ないですし、せっかくの経験が報われることを望みます。どんな最下級生も、いつかいく道なんですしね。


退団者のピックアップシーンがなかったですかね?もちろん愛ちゃんは二番手だしかなり目立ちましたが、よくショーの中に一場面はある、トップスターからのねぎらいのからみみたいなの?あればよかったと思います。


初見以来気になっていることをひとつ。

『キャリオカ』なんですが、ワタクシ宝塚で聞く(観る?)以前からこの曲を知っておりました。それで長いこと違和感がぬぐえず…

『キャリオカ』というのは、リオデジャネイロ出身のという意味ですから、ニューヨーカーとか、パリジェンヌとかと同様の言葉です。ブラジルと言えば思い浮かぶのはサンバカーニバル。曲調も南国のムードですし、どっちかと言えばラテン衣装の方が近いんじゃないの?それがどうして黒燕尾とピンク色のロングドレスなのか?岡田先生のイメージがそうだったとしか考えようがなく、もうこれは、本来の『キャリオカ』ではなく、『キャリオカ@タカラヅカ』という別モノなんだろうと思います。まぁ見慣れれば、こんなのもありかと思えてきます。なんというか、ひと昔前のハイブリッド?とでも言いましょうかね。尺も長く、集団でのダンスの圧もはんぱなくて、この世界にどっぷり酔いしれました。


岡田先生はプログラムに「私は “陶酔” がレビュー作品には大切な要素だと思っております。(中略)最近は、スピード感やリズムで力強く表現する舞台が主流のようですが、何か慌ただしく、落ち着きがないように感じます。」と書いています。

確かに最近多かった、場面転換が早くて、体感15分のようなショーとは異なる味わいでした。これはこれでなんというか逆に新鮮な感じで堪能できましたが、さすがに終盤近くはちょっと冗長過ぎるのでは?と飽きてきたことを告白します。特にパレードは締まりませんでしたねー。なんだろう、曲かなぁ…突然ここだけムード歌謡?みたいでした。


世の中いろんなことが少しずつ早くなってきていますし、早いのに慣れると以前のものが(遅っ)と感じるようになるものでしてね。例えばPCなどのキーボードの反応とか、ATMの操作とか、待つことにイラッとする昨今、岡田先生の言う『陶酔』は贅沢の部類なのかも。現代社会に生きる我々はいつも疾走していますからね。モアダンでちょっとだけゆとりのようなものを感じることができました。


ところで思い出には美しいフィルターがかかっていますから、それぞれの想いは尊重するとして、今は簡単にスマホで過去の映像を見ることができるので、よかったら95年の花組の『キャリオカ』をYouTubeで検索してみてください。センターのスターさんの輝きは別格ですが、集団としての演技を見て、今のシンクロ具合はすばらしいと再認識しました。近年の傾向として、全員のダンスレベルが上がっているのでしょうねぇ。回る速度、ジャンプのタイミングや高さ、手や足を上げる位置、一糸乱れぬ動きのなかで、絶やさぬほほえみに、あらためてほれぼれです。