雪組公演 「f f f」、深掘りパート3。
てか、自分が気になるところってくらいの話なんです。
いくつかの場面で「手紙」が効果的に使われてます。
まずひとつめ。
ほんとにちっぽけなことですが、初見の頃から気になることが…
ロールヘンが亡くなった時に失意のベートーヴェンがたまたまブロイニング家を訪問し、ブロイニング夫人から「早かったのね」と言われるところ。手紙を受け取ったから来たわけではなかったベートーヴェンが困惑して「誰か亡くなったのですか?」と聞くと、ゲルハルトが「昨日手紙を出したんだ」と言いますね。
(昨日?)と引っ掛かりませんでした?ゲーテがナポレオンに言ってるように、「現況、あなたの命令が届くのは早馬の届く範囲だけ」。つまり郵便送達事情はあまりよくない。ちなみに、ブロイニング家のあるボンからウィーンまでってざっくり900キロあるようで、日本で言うと東京から北は札幌を越えるくらい、南は福岡を越えるくらいの距離感で、どう考えても1800年初頭に、翌日に届いて、おっつけ訪問できる距離じゃない。だから「早かったのね」というセリフにはなるんでしょうが、そのあとブロイニング夫人が「あら?手紙は…(着いたから来てくれたんじゃないの)?」と言いますから、ベートーヴェンがロールヘンの死去を知って来たと、思ってるってことですよね?イヤイヤ、着くかい?
作品を観たあと、その背景について調べたりすることはあまりないのですが、基本フィクションと思ってますので。それに時代考証とかもあまり重視する方ではないです。衣装とか小道具もその芝居を彩るものなので、たとえ正確に時代と合ってなくても全体を作る一部分と思ってます。ロミジュリの衣装なども当時あり得ないデザインだと思いますが、あれはあれで成り立つと。
なのにこの手紙の送達事情がなぜか引っかかる(笑)。何か私のアンテナに反応したんだと思われます。
ふたつめの「手紙」にまつわる話。
ベートーヴェンが、自分に届いてる手紙を謎の女に読むように指示しますよね?彼の不自由なのは耳で、目ではないのに、なぜ読ませるのか?不勉強で知りませんが、当時人を使う立場の人は、手紙を自分で開封したり読んだりしない習慣だったんでしょうか?でも謎の女の声でなければ、聞こえないんだよね?それ以前はどうしていたのかな?
「手紙」はほかに、ロールヘンが妊娠中にベートーヴェンに書き送った「一度帰ってきて」と訴えるモノローグでロールヘン本人(希和ちゃん)に読まれる手紙。「私たちは音楽に関係なくあなたが好きよ。」というのにはじ〰️んとします。「あなたと一緒に散歩をしたり楽しいゆうべを過ごしたりしたい」(も~う!帰ってやれよ!)こんなにいい人たちを悲しませることで、彼の後世に残る作品群が生まれたんだとしたら、世の中ほんとに切ない。
しかし種明かししてしまうと、ロールヘンはお産で亡くなってないし、ベートーヴェン(1770-1827)よりも長生きしています。(1771-1841)
ロールヘンを訪問できなかった理由は、むしろベートーヴェンの方が次々と病気を患っていて移動するのが困難だったという要素の方が強いのかな?と。音楽での栄光と違って、実生活ではつくづく不運に魅入られた人のようです。それを吹き飛ばすエネルギーを持っていたのが常人と違うところですが。
そして最後。
フィナーレであーさゲルハルトと希和ちゃんロールヘンが中央からせりあがりながら読まれる手紙。光の中で明るい終わりを暗示するかのように、二人の声が途中から重なります。重なりぐあいがまたいいんですよね~。演出としては最高の盛り上がり部分なのですが、この解釈が悩みどころ
ナポレオンの島流し(幽閉)先の逸話として、ロールヘンからベートーヴェンに贈られるギフト。「畑を耕している農夫から鋤を借りるとあっという間に一筋の畝を作り、金貨を与えると去っていった」という一件です。
えーと、、、なに? (笑)
この逸話がまず真実なのかどうか、そしてロールヘンの手紙が本当にあったのかがちょっと調べてみただけではわからないので、仮定のはなしになってしまいます。
ベートーヴェンがナポレオンを英雄視していたと知っていたであろうロールヘンが、ナポレオンが元気でやっていることを知らせたかったのか?というのが実に素直な解釈。あるいは全てが作り事で、ウエクミ先生独特の余韻であろうというのがうがった解釈。
ほかにもいろいろ考えられる終わりかたですね。
ただ最後に、「人生は幸せだった~!」と叫ぶ望海ベートーヴェンの歓喜で、もうどうでもいいか…(笑)と思ってしまうワタクシです。
きいちゃんが、銀橋にいる望海さんに向かって「ありがとう!」と呼びかけたあとに、心の中で「(ありがとう)望海さん!!」と、まいたび泣いています。