旧東海道は大磯宿に入ります。

平塚から大磯宿境までは約2km。他の宿場は4kmから、長いところで15km以上もあるので、ここはかなり短い距離ですね。



大磯はみどころがたくさんあるので2回にわけて送りたいと思います。

平塚から国道沿いに歩くと目の前に「高麗山」が見えてきます。




そしてさらに歩くと、高来神社が出てきます。

高麗とは呼び名は「こま」ですが、元々は唐・新羅連合軍に滅ぼされた高句麗に由来するそうです。

天智天皇の時代、668年です。




高句麗の王族と従者が国を追われ、この地へ来て、開墾にはげんだそうです。

大磯はとても古く歴史のある土地なんですね。このエピソードだけでも浪漫を感じ、わくわくします。

この高来神社から高麗山へはハイキングが出来るらしいです。秋や冬シーズンに一度歩きたいと思っています。




しばらく行くと国道を離れ、東海道は裏道へと導きます。当時の木々が残っており、まわりは住宅地ですが往時を偲ぶ思いがします。ここを化粧坂です。

そこにひとつ史跡がありました。化粧井戸です。




この井戸で朝、夕、化粧をしたことからその名がついたとのことです。

広重の絵が化粧坂のシンボルとして掲示されていました。



この坂を終えると東海道線の線路を地下通路を通って向こう側に渡ります。

渡ると再び、旧東海道の雰囲気が漂う道に通じます。




松がところどころに残るのが大磯宿でも特徴です。

写真で見ても電柱を気にしなければ一見、そんな雰囲気を感じますよね。

大磯は平安時代末期から相模国の国府がおかれていたそうです。

やはりとても歴史的な土地なのですね。

この通り上に、史跡は残されておりませんが、東木戸(江戸見附)があったといわれています。

そしてこの通りを抜けると、ふたたび、国道に戻ります。




国道なのに、なぜか大磯駅周辺は静かなのですよね。




この神社は秋葉神社というそうです。東海道御馴染みの神社仏閣がいくつか通り沿いに出てきます。

ところどろころに看板も出ており、東海道の古地図とともに、宿場の説明がなされていました。


本陣は小島本陣と尾上本陣、石井本陣があったそうです。

下記の写真が小島本陣跡。今はお蕎麦やさんみたいですね。



地福寺というお寺が見えました。



看板はなかったのですが、位置的にもしかしたら石井本陣跡?かもしれません。

風情がある建物ですね。




大磯は海水浴発祥地でもあります。



今回は割愛しちゃいましたが、海岸前に看板があります。

大磯(照ヶ崎)海水浴場は, 初代陸軍軍医総監をつとめた 松本順の尽力によって開かれたそうです。
松本順は 徳川慶喜に仕えた 江戸城奥医師だった人で, 日本で初めて海水浴をはじめ, 海水浴の効用を説いたそうです。なんでも、波は刺激が強いので、波にあたると病気が治るとか・・すごい説ですね(笑

碑の題字は 時の総理大臣 犬養毅 によって書かれたとのことです。


そして街道をさらに歩くと「しぎ立庵」が出てきます。

そこにはまず、「湘南発祥の地」の看板がありました。





中国の湘江の南側を湘南と呼び、大磯がその地に似ていることからそう呼ばれるようになったとのこと。




鴫立庵は俳諧所です、1664年に小田原の宗雪という人が始めたところで、有名な西行が詠んだ句碑もあります。現在でも俳諧所として使われているとか。

建物も立派に残り、邸内には、池や庭があって、当時のままにかんじます。

鴫立庵は宿場の西のはずれで、もうすぐ近くには西木戸(京見附)跡の看板がありました。


ここまでは江戸時代を物語る史跡です。

大磯はこのあとから、不思議かな、江戸ではなく、明治の世界に入ります。

それは、また次に送りたいと思います。