2011年3月11日に発生した東日本大震災
翌年から、近くの公園から流れる
「東日本大震災から○年が経ちました(中略)
黙祷をしましょう」のアナウンスに合わせて
黙祷をしていました
今は
それが聞こえてきません
震災当日、私は職場にいました
机にしがみついて動けませんでした
怖い思いはしましたが
家に一人でいたら、半端ではない恐怖だったと思います
TVの映像を見る度に
こんなことが起きるのだと信じられませんでした
そして
何年経っても忘れられません
どうして追悼のアナウンスをやめたのでしょう
悲しい気持ちになります
浜松町散歩の続きです
浜離宮~竹芝~ランチの後は
浜松町駅に近い、旧芝離宮恩賜庭園へ寄りました
旧芝離宮恩賜庭園は
もとは海面でしたが
明暦(1655~1658年)頃に埋め立てられ
延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝の邸地となりました
その後、数氏を経て
幕末には紀州徳川家の芝屋敷となり
明治4年(1871年)に有栖川宮家の所有となりました
明治8年(1875年)に宮内省が買い上げ
芝離宮となりました
大正12年(1923年)の関東大震災により
建物と樹木の殆どが焼失しましたが
翌年の大正13年(1924年)1月に
昭和天皇のご成婚記念として東京都に下賜
公園として開放されました
小石川後楽園とともに
今に残る最も古い大名庭園の一つです
典型的な、池泉を中心とした回遊式泉水庭園です
池は海水を引き入れた「潮入りの池」でした
引き潮の時は中島から浮島に渡れたり
潮の干満により州浜や島々の風景が劇的に変化したといわれています
今は残念ながら海水の取り入れができなくなり
淡水の池になっています
海水取入口跡
たくさんの鴨さんたちがいました
雪見灯篭
池のほとりに立つ大きな灯篭は、対岸の築山を背景に
旧芝離宮恩賜庭園一の景勝ポイントとなっています
足下は玉石を敷き詰めた洲浜です
根府川山
旧芝離宮恩賜庭園には
数々の名石が用いられた庭造りが行われています
根府川山や中島の石組は一見の価値があるとのことです
特に大久保家の藩地であった小田原から多くの根府川石が運ばれ
いくつかの石組と泉水周りの飛石に使われています
泉水の護岸は富士の黒朴石が用いられています
中島
鯛橋
大島
九尺台(九盈台)
九尺とは高さ、盈とは水や月が満ちるという意味です
海の波打際に造られたこの高台は
いつ造られたものか不明ですが
明治天皇が明治8年に、この庭園に行幸された際
この台上から
海で漁民たちが漁をする様子や
海の眺望を楽しんだ場所のようです
庭園の花たちです
庭園を入ると、右に藤棚があります
旧芝離宮恩賜庭園のパンフレットの表紙は、藤の花です
数は少ないかもしれませんが
都会のビル群に佇む静かな庭園に咲く藤を
のんびり見たいなぁ~
そんな気持ちになる庭園でした
16845歩の浜松町散歩終了です
我が家近くの早咲きの桜は、そろそろ終わりです
裏通りの白蓮が、一気に花を咲かせました
最近、食べる量が少し減ったような気がする夫
(おやつの量は減りませんが)
食事の量を減らすことにしました
残り物を翌日にまわせないことが多いので
無駄にならないように作ることにします (*^-^)
夫の夕飯です
孫の塾のお迎えがなくなったので
毎晩、ハイボールの晩酌です
チンジャオロース
鶏肉と大根のコトコト煮
マグロと長芋たたきのキムチ風(練習で作りました)
長芋は適当な大きさに切り、袋に入れてたたきます
マグロ・長芋・千切りした昆布・ワケギを
キムチの素・ごま油・ショウガで和えます
フリルレタスとトマト
私は、鶏肉の煮物と野菜だけです(^ω^)
アルコール度3%のジントニック350缶1本を
晩酌しています ( ⌒ ͜ ⌒ )
昨日までの暖かかった春の兆しが一変して
今日は曇り空で強い風が吹いていましたが
雨も降り出しました
花冷えの一日でしょうか
寒暖定まらぬ時期ですので、皆さんご自愛くださいね(﹡ˆ﹀ˆ﹡)