秋田の姉が我が家へ来た一番の目的は

母と兄の七回忌です

昨年の父の23回忌はコロナ感染者が多く、姉は来るのを諦めました

 

今回は

「もう80歳、行ける時に行きたい」との思いが

強かったようです

 

少し、思い出話になります

母は、毎日、近くのスーパーで買い物をして

食事作りをしていました

平日に週一度は私一人で、週末は夫と実家へ行っていました

タッパーに詰めた私のお料理を喜んでくれた母の顔が

今でも思い出されます

 

8月は暑いので買い物に毎日は行きませんでした

亡くなった年の8月後半は

「体調が悪い」と言っていた母

私が行って母と話していると

「6キロ痩せた」とびっくり

毎日、電話で話していましたが、それは聞いていませんでした

 

それはおかしいから病院へ行こうと言いましたが

「もうすぐ病院へ行く日だから」と言う、母の気持ちを優先しました

 

9月の月曜日

病院の日だったので、実家に8時到着

明らかに母の様子が違う

私は診察時間を待たずに救急車を呼び

そこから

母の命をちぢめたであろう病院での入院生活が始まりました

 

腎臓の数値が高いことが原因なのに、食事制限なし

入院して3週間で26キロ体重が増え、足はむくみでパンパンになっていました

 

担当医である院長と話す機会を作ってもらいましたが

「90歳過ぎているからいつ死んでもおかしくない」の発言に

あまりにも衝撃過ぎて

その時は返す言葉もみつかりませんでした

 

母がベッド上で起き上がれない時に

手を貸さずに黙って見ている看護師さんもいました

その上、傷つけるような言葉を言いました

 

回診に来ないなども含め

その後も2回、院長と話し合いの場を設けましたが

何ら変わりませんでした

 

病院内の地域連携室の方が見かねて

理事長との話し合いの場を設けてくれました

後で判ったことですが

その理事長が私に言ったことは、ただのパフォーマンスでした

 

市の医師会にも相談しましたが

医師会は、病院と患者とが揉め事をしないようにするのが

仕事のようで

ここでも、病院への不満は解決しませんでした

 

10月に終末医療の病院へ転院するように言われ

都内の病院へ転院した際の検査で

数値がとても悪いと説明を受け

亡くなるまでの一ヶ月は食事も摂れず、点滴だけでした

でも

そこは居心地の良い病院でした

それがせめてもの救いになりました

 

母の後を追うように、9月中旬に入院した兄

父がいなくなった後は兄が実家で暮らしていました

土曜日に、夫と私が実家へ行くと

とても衰弱していた兄

1階の母のベッドに寝ていて起きて来られませんでした

 

前日の金曜日に大学病院の検診に行った兄は

「先生が、もう治療はしないと言った」と言いました

私は月曜日を待って、担当医と電話で話すと

兄が勘違いをしていたようです

担当医は

「直ぐに来ていいです」と言ってくれました

歩くのも辛そうだったので救急車を呼びました

 

食道がん、胆石手術、大腸がん、胃がん、肝臓がん

最後は腹膜播種と診断されていた兄は

一ヶ月弱の入院で亡くなりました

 

その後

11月中旬に母も亡くなりました

 

母と兄の入院で

朝10時に家を出て、二つの病院を回り

帰宅は夜9時

週末は、夫も一緒に病院へ行き、実家へ寄りました

これが出来たのは、夫が理解してくれたことと

今でも感謝しています

 

楽しい話ではないのに長くなりました

節目になると、どうしても思い出してしまうので

呟いてしまいますm(_ _ )m

 

さて、姉との四日目はお寺での法要です

今回は皆で会食が出来ると、お寺での会食を予定していましたが

埼玉の姉が

「まだコロナが気になるから会食には参加しない」と言うので

会食は中止にしました

私たちは我が家での会食となりました

 

孫が運動会なので娘家族と、埼玉の姉の長女家族は七回忌に参列が出来ず

我が家での会食は

秋田の姉、姉の長女、息子夫婦、夫と私です

 

帰宅して直ぐに始められるようにと

デパ地下のお届け弁当を手配していました

でも・・・

その前に、我が家はお酒の肴が必要です爆  笑

前日に作っておいた品を並べます

 

作っておける品って決まってしまうのですよね

(言い訳ですが(^0^;))

いつも紹介しているお料理ばかりです

 

前日に用意した品は

マカロニサラダ

 

春雨サラダ

 

セロリとイカ燻の和え物

 

松前漬け

 

姉と姪に好評だったのは

アボカドと梅干しの和え物、いぶりがっこ入りチーズ・ディップ

 

急いで揚げたのは

イカげそ

 

ゴボウ揚げ

姪が、「前にも食べたことがある」と言いましたが

私は覚えていないのですよね~

 

 

とりあえず、これだけ並べて席に着き

「後でステーキを焼くね」と言うと、皆が大笑いはてなマーク

息子が⇒「ほらね!」とキョロキョロ

 

私がテーブルに少しずつ並べている間に

「これで最後に高級ステーキが出てくるよ」と

息子が話していたらしい(*´゚∀゚`*)

その通りなので、皆がおかしくて笑ったそうです

姪は、「さすが親子、当たったわ」とね(。 ゝ艸・)クスクス

 

息子は

「ステーキは最初に出してほしいよ」とびっくり

私は軽めの品からと順番を決めていたのですが

飲むとあまり食べなくなる息子は

最後のステーキは焼くことなしに、いつもお持ち帰りしていました

 

私は、「そうだったのね、次回からは一番先に出すわ」と(*`・ω・)ゞ敬礼

 

慌てて、直ぐに1枚だけ焼きましたけれどね爆  笑

 

頼んでおいたデパ地下お届け弁当の

お刺身と

 

お寿司2パックも並べました

 

私も席に着き、思い出話です

う~ん、最初の一杯🍻が美味しい~音譜

 

息子夫婦はドドがお留守番をしているので、5時半に帰っていきました

食べられなかったお弁当とお肉はお持ち帰りです

 

息子は鰻弁当

 

姉と姪と嫁と夫はなだ万弁当

(私は食べられなくなるのが分かっているのでありませんよ)

 

パーティーオードブルも頼んでいたけれど

殆ど手をつけず、写真を撮るのも忘れていました

これは余分だったわ!と主婦として反省ショボーン

こんな盛り合わせでした

 

そうそう、従姉から届いた

ピオーネとシャインマスカットの売れ行きが早かったわ爆  笑

 

 

息子夫婦が帰った後も

姉と姪と私たち夫婦とのお喋りは続きました

 

そして5日目

姉はあきたこまちで帰っていきました新幹線前

 

 

七回忌が終わり

なんとなく、母の遺言の役目を果たしたような気がしました

これからまだまだ法要はありますけれどね

 

お出掛けは、また暫くは

月1回の着物リメイク教室とかかりつけ医だけになります( 艸`*)ププッ

 

少しずつ、小さな秋を楽しみましょ☆⌒(*ゝω・`)ニコッ♪