11日の月曜日から一泊二日で

岐阜県へ旅行しました

 

コロナ禍の前の2019年5月に

名古屋から伊勢志摩~2度目のお伊勢参り~熊野古道へ

旅行して以来です

 

昨年の7月

娘と孫の助っ人で、長野で一泊しましたが

その時は、夫の仕事が終わってからの出発で素泊まり

先に着いていた娘と孫と、ホテルで合流

翌日は、娘と孫のアッシー(古いかしら?)でした(*^^*)

 

中学受験を控えている6年生の孫に協力するため

今年は旅行は無理と思っていましたが

11日から二泊三日で、移動教室へ行く孫に合わせて

私たちも旅行となりました(*´∀`*)

 

一泊二日といえども、久しぶりの本格的な旅行音譜

スーツケースには荷物をいっぱい詰め込んで

心には期待をいっぱい詰め込んで

朝4時半に出発車

 

新東名から東海北陸自動車道を

渋滞もなく順調に走りましたが、遠かったですね~

5時間半かかりました

 

最初に訪れたのは、白川郷

 

白川郷は

昭和51年(1976年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定され
さらに平成7年(1995年)には五箇山(富山県)と共に
白川郷・五箇山の「合掌造り集落」として
ユネスコの世界遺産に登録されました

合掌造り集落は

大小100棟余りの合掌造りが数多く残り
また

今でもそこで人々の生活が営まれている集落です

 

白川郷では「結(ゆい)の心を大切にしています
「結」とは相互扶助のことです
白川郷の生活は
昔から個々の家の助け合いと協力があってこそ成り立つものでした
冬は雪に閉ざされてしまうので
家同士が助け合わないと生きていけないくらい、厳しい自然条件でもありました
そのため

1年を通して様々な暮らし・行事の場面で助け合いが必要とされ
白川郷ならではの相互扶助の関係が築かれていきました


その「結」の心は現代にも、しっかりと引き継がれており
ユネスコの世界遺産に登録されたのは
建物や景観だけではなく
地域に根付く住民同士の相互扶助の営みが高い評価を受けたと

言われています


夏の空ですね~

 

せせらぎ公園駐車場から

全長107mの吊り橋、であい橋を渡ります

 

 

 

水と緑と空、いい感じ~ニコニコ

 

橋を渡り、すぐに見えてくるのは、秋葉神社です

 

江戸時代中期に疫病や火災で犠牲者が多く出た際に

平安を祈るために建立されたそうです

 

ひっそりと佇む小さな神社で、足を止める人も少ないです

 

 

 

 

合掌造り見学です


「合掌造り」とは

茅葺きの屋根が掌を合わせたような

急勾配の山形をした建築をいいます

 

白川郷では屋根の両端が

本を立てて開いたような形の「切妻合掌造り」

呼ばれる様式で

当地の重く多い積雪に耐え、風土に適した構造です

 

建築材の接合には木製のくさびや

ねそ(マンサク)などが用いられ

金属の釘や、かすがいは使われていません

ねそで締めた屋根の骨格は風雪に強く

年月とともに強度を増すそうです

 

正しくこの地に生きた先人の知恵ですね~
 

 

 

 

観光客が行き交う中

合掌造りという伝統的な建物の集落で

普通に生活がされています

不思議な気がします・・・のどかです

 

 

 

 

 

国指定重要文化財の和田家です

和田家は

天正元年(1573年)以来

代々、「弥右衛門」の名を継ぎながら

江戸時代には

名主や番所役人を務めるとともに

白川郷の重要な現金収入源であった焔硝の取引によって栄えました

 

明治21年(1888年)白川村が誕生した際

和田弥右衛門は初代村長に選ばれています

 

 

 

 

 

1階は、生活用品の展示など

 

 

急勾配の階段を上った2階には

中央に養蚕の展示が詳しくされています

 

 

 

 

 

合掌造りの屋根裏です

 

和田家2階からの景色です

 

次も建物内を見学できる長瀬家へ向かいます

 

周りを観賞しながら、ゆっくりと歩きます

 

 

 

洗濯物が干してあり、普通に生活をしているのが分かりますね~

 

 

色とりどりの花々が集落の庭にたくさん咲き

しばしば立ち止まってしまいます

 

 

 

 

 

白川村では紫陽花は今が見頃

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長瀬家です

 

長瀬家は

260年続く旧家で

初代から3代目当主までが漢方医でした

中でも、加賀藩の藩医であった3代目当主は

前田家に大いに引き立てられました

 

白川郷最大級の5階建てで、高さは17m

明治23年(1890年)完成しています

 

 

 

長瀬家の屋根の形は正三角形です

 

約11mの一本柱が

屋根の勾配の上から下までを貫き、大きな屋根を造っています

建材には樹齢150~200年の檜や樹齢300~350年の
栃、欅、桂などの良材が随所に使われ

当時の長瀬家の格式が感じられます

 

いろりの上にある大きな四角形のもの

和田家にもありました

火災防止や、煤や煙が上へいかないためのものだそうです

 

1階には

前田家から贈られた、約500年前の作といわれる壮麗な仏壇
美術品、什器、江戸期の医療具などを展示しています

前田家からは、他にも蔵一棟を譲り受け、今に伝えられています

 

 

 

2階へあがる階段脇にある中2階です

使用人の寝床

主人より頭をあげないようにということで、天井が低くなっています

 

3・4階には、昔からの生活用品を展示

 

 

 

 

 

3階からの眺めです

 

屋根裏です

 

長瀬家・和田家と並ぶ大きな合掌造り建築の

神田家です

 

 

 

神田家は

約200年前に能登から宮大工を呼んで建てられたといわれています
広大な敷地内には母屋をはじめ
水車を使って米や雑穀を精製した「唐臼小屋」
収穫した米や大切なものを保管する「稲架倉」に水神さまが建っています
神田家は酒造業を興しており、家自体は1850年ころの建築と推定されます

(中の見学をしていないので、文章はお借りしました)

 

 

 

 

合掌造り、同じように見えますが、いくら見ても飽きない~

観光地には、○○の里など

昔の生活や物作りの体験などが出来る施設があります

それはそれで楽しいですし、私も体験したことがあります

 

白川郷も観光地化しているとの感想があるようですが

私は、観光のために造られたのではなく

実際に人々が巣通に生活をしているからでしょうか

自然を感じました

 

雄大な敷地の中に伝統ある合掌造り

透き通った冷たいお水が至る所に流れ

庭や畑や道には、たくさんの花が咲いています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても素敵な空間でした

以前から「行きたい!」と思っていたけれど

雪の白川郷が見たくて・・・

でも、豪雪地帯への観光は無理そうです

行かずじまいになりそうなので

今回の旅行先に選びました(﹡ˆᴗˆ﹡)

 

ライトアップされた雪の白川郷です

画像はお借りしました

 

他にも見どころがあります

残念だったのは

萩町城跡の展望台から白川郷集落を眺めなかったこと( ´•ω•` )

画像はお借りしました

 

白川郷・合掌造り集落、観光終了です(﹡ˆ﹀ˆ﹡)

 

お昼は

白川郷でお蕎麦をいただきました


 

 

 

夫は自然薯とろろご飯のセット

 

 

私はエビ天おろし

 

このお店、白川郷のいちばん手前にあります

車を停めた時に、駐車場の案内をする男性が

「さっき通ったでしょう。ここに停めたら駐車場代がタダだったのに」と

 

東京ナンバーは珍しいので覚えていたそうです

 

車を停めて「後で食べに来ますね」と言えば

駐車場代1000円が浮いたのですね(*´艸`)‪

 

次は、郡上八幡城へ向かいます

 

 

※旅行前の日曜日から忙しくしており

いいねをしてくださった

皆さんへのブログ訪問ができていません

時間がかかりますが、読ませていただきますm(*_ _)m