4月中旬に訪れた

世田谷区立 岡本公園民家園と次大夫堀公園民家園

 

今頃ですが

次大夫堀公園民家園の記事になります( ˙▿˙ ; )

 

次大夫堀公園民家園は

昭和63年(1988年)11月に開園

 

名主屋敷(主屋1棟と土蔵2棟)、民家2棟、表門、消防小屋などを復原し

公園内の次大夫堀や水田とあわせて

江戸時代後期から明治時代初期にかけての

農村風景を再現しています

 

公園を入り、民家園へ向かう手前の水田には

鯉のぼりが泳いでいました

 

 

のどかな風景です(*´ω`*)

 

 

民家園見学開始ですニコニコ

 

 

消防小屋と火の見櫓

各村々で組織されていた消防組の組員詰所として再現されています

櫓の半鐘は元々

宇奈根地区で使われていたものです

 

 

 

 

 

 

旧城田家住宅主屋

区内喜多見の登戸道、筏道の主要な道が交わるところに建っていて

農業の他に、商いも営む半農半商の家でした

 

家の造りは、

町場で見られる店造りの形式が多く取り入れられています

 

 

 

どの住宅にも

端午の節句の飾りがありました

 

 

 

夫は、筍が生えている様子を見て感動していましたニコ

 

 

 

 

旧加藤家住宅主屋

区内喜多見に建っていたこの家は

江戸時代後期に見られる

典型的な農家の間取り形式を持ちます

 

また、家の内外には

養蚕を行うための造りが多くなされています

 

 

加藤家住宅の周りの様子です

 

 

 

 

 

旧安藤家住宅主屋及び内倉

江戸時代後期に建てられた旧大蔵村の名主家

家が繁盛し、屋敷構えが整ったと推定される

明治中期の姿に復原しました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旧秋山家住宅土蔵

区内奥沢に在ったこの土蔵は

文政十三年(1830年)頃に建てられたものです

土蔵造りは、火災にも強い構造となっています

 

旧安藤家住宅の外倉という設定で復原されています

 

 

旧谷岡家住宅表門

区内奥沢に在ったこの表門は

天保九年(1838年)に建てられたものです

この門の穀倉と納屋は、元々それぞれ別棟だったものを

天保九年に門構えを加え

一棟の長屋門としています

 

 

次大夫堀(六郷用水)

農業用水としての役割を終え

寸断されていた次大夫堀は

昭和55年(1980年)に復元されました

かつて、この用水により潤されていた水田も再現して

田植えや稲刈りも行われています

 

 

 

息子家へ行く前に立ち寄った民家園

 

 

 

時間があまりなかったので急ぎ足での見学でしたが

のどかな雰囲気に癒やされました

 

藍染め体験で、また訪れたいなぁ~と思います

 

 

息子夫婦とドドの病院へ行くと

待ち時間が長そうでした

 

夫と私は、嫁がお勧めの東宝スタジオまで

ぶら~り歩いてきました

 

 

懐かしいビックリマーク

 

ゴジラと一緒に記念撮影!と思いましたが・・・オバさんは

ちょっと恥ずかしいのでやめました照れ

 

ドドは病院でもおとなしく、よい子でいたそうです

 

東京ぶら~り散歩、まだまだ未知の場所がありそうです

これからも、のんびりと楽しみましょ(﹡ˆ﹀ˆ﹡)

 

 

※今回の記事で、「復元」と「復原」の使い方で迷いました
 

“この二つの言葉は

一般的な辞書では区別されることなく同一の見出しとして扱われ
「元の状態・位置に戻すこと」と書かれてあり

意味的には同じことになっているそうです
しかし、建築分野の領域においては
復元とは失われて消えてしまったものを、かつての姿どおりに新たに作ることをいい
復原とは始めの姿が改造されたり、変化してしまった現状を元の姿に戻すことをいう”
と、ありました

 

立石龍壽(大阪市立大学倉方研究室)さんの著書を

ネットから参考にさせていただきました

 

皆さんのブログ記事から勉強になることがありますし

自分で調べることもあり

高齢者にはよい刺激になります(﹡ˆ﹀ˆ﹡)