(「総リード編」からの続きです。一つ前の「総リード編」からお読みいただければ嬉しいです。)
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「【月刊致知7月号「将の資格」総リード】を読んで」
以下、コサトンの感想文全文(下書き原稿より)
(下書きのため、文末はあえてラフな形式のままとさせてもらいます)
今回のリードにおいて筆者(藤尾編集長)が最も伝えたい部分は、
やはり後半部の「将たる人に欠かせない三つの条件・資格」であるかと思う。
しかし、それではややそのまますぎるのでは?と思い、何回か繰り返し読んでみた。
そうしているうちに、ある言葉、ある文章が強く自分に訴えかけてきた。
それはワンチュク国王が、子供たちに伝えた「竜」の話である。
「竜は私たち一人ひとりの中にいる。(中略)自分の竜を大事にしなければね」
実はこの一文が、今回のリードで最も【要】または【肝】となっているのではないか。
国王のいう「竜」とは何なのか。それは我々一人ひとりの心の中にある
「将になる資格」または、その【可能性】ではないか。
もしくは、良心・正しき心という言葉に置き換えられるかもしれない。
将たる人・・・・・・こう言うと選ばれし者という印象を持ちがちで、
まるで始めから将になれる人は決まっているように思いがちだ。
だが本当にそうなのだろうか。
将・リーダーというのは、あくまで「結果」としてのものではないだろうか。
誰もがリーダーになれるわけではないが、【なる可能性】そのものは、
実は誰しもにあるのではないだろうか?
ワンチュク国王は「誰に」言ったのか?子供たちにである。
“将来”のある子供たち、いくらでも可能性のある子供たちに、である。
【可能性】は心の中の竜の如き、誰しも秘めている。
要は、その竜という可能性に「自らが」気づき、育み、大きくしていけるか、
今回に照らせば、危機感を持ち人間的迫力をもって、「三つの条件」を
[やるか、やらないか] につきると思う。
自分の周りにいる人や、政治家などが将たる人物か量るよりも、
自らの可能性を育てて、将たれるように努力することが、
組織を、さらに言えば国を強くしていくことなのではないだろうか。
自分の可能性を大事にし、日々平々凡々に過ごすのではなく、
我が身を修め、今の自分を高め、変化に対応していける自分でありたい。
ワンチュク国王が国会での演説(以下の動画)で賞賛して下さったような素晴らしい日本人で
あり続けられるよう、自分も自分の「竜」を大事に生きていこうと思う。
以上、私の感想文でした。
親日ブ-タン王国国王陛下 新しい歴史を刻む名演説
※ぜひ、この演説を拝聴してくださればと思います。
ちなみに、北氏の講演会でこんな言葉を耳にしました。
【独立自尊】
【この人民にして この国家あり】
【立国は私なり】
福沢諭吉の話の際に、この三つの言葉が紹介されました。
人や世間、国や政治家のことをどうこう言う前に、自分はどうなのか。
自分は変われているのか。
単なる傲慢な人間になってやしないか。
組織や国を動かしてるのは、自分以外の一部の人間だけなのか?
自分たちに責任はないと、本当に言えるのだろうか?
今回の総リード然り、北氏の講演での話然り。
もっともっと、自分を省み磨いていかないといかんな・・・
そう思わされました。
謙虚に、そして前向きに。
成長していける自分でありたいと思います。