まだうまくまとまっていないのですが、今思うことを書きます
私はこれまでとにかく「自己確立」を最優先事項として取り組んできました
それは自己の調和でした
そして今、社会との繋がりへと移行しつつあります
自己確立が少しずつ成されたことで、そこへと向かえるのも確かですが、一方で社会との繋がりは自己確立にとって必要不可欠であるとも言えます
私はできるだけ社会と距離をとって、自己確立を優先してきました(家族を小さな社会と捉えるなら家族に関しては最も優先していましたが)
それはそれで私にとっては必要なプロセスだったのだろうとは思います
それは一方で自己責任を極限まで強めるものでもありました
つまりは外へと働きかけたり、疑問を投げかけたり、変化を促すことは基本的に断じて許されないことでした
自分の意識をコントロールしよう
自分を改革していこう
間違いということではない
でも、今は少し違和感を感じる
社会をコントロールするというのとは違うけれど、社会の繋がりに積極的に身を置くことで、自分の変化によって社会の変化に少しずつでも影響を与えるというのはしてよいことだと思う(皆さんは自然にされていることだと思いますが)
私はできるだけ社会や周囲に自分の影響が及ばないように努めてきました
それは自分が周囲や社会にとってマイナスな影響を与える存在だとみなしていたからです
だから自分を調和させるまではできるかぎり社会との繋がりを弱く狭いものにしようとしてきたように思います
しかし、それは矛盾を有していて、自分を調和させるためには社会とのしっかりとした繋がりが不可欠でもあるのです
私は今、個として、再び社会に働きかけるという意志を持ちたいのです
私は幼年期、青年期、身体を壊す前までは、社会に対して大きな疑念を抱いていました
社会に流れるルール
暗黙の価値観
そういったものにたくさんの疑念を抱いていたのです
でも、当時の私にはそのことと真摯に向き合う心の力がありませんでした(だから心と身体が壊れました)
社会というもの、人間というもの、人生というもの、そういうものに深く思いを馳せることができていませんでした
そして何より世界の本当の絆を知らずにいたのです
今もまだまだではありますが、それでももう一度、この社会と繋がり、"社会を諦めて自己を疑い、自己に投げかけ続けた疑問"を再び社会に投げかけていこうという気持ちが少しだけ湧いてきました
今のそれは反骨の態度とは違うものです
忘れていたのですが、私は今年の自分のテーマとなりそうな言葉として「芸術性」を挙げていました
これは私の人生を通したテーマでもあり、繰り返し出てくるワードでもあります
これは私だけが抱いているイメージなのかもしれませんが、芸術はどこか社会性とは相容れないものだったように感じます
社会に適合できない人たちが芸術を求めるというか(笑)
うまく言えないけれど、私は"社会性のある芸術"というものを求めている気がします
一方で芸術が社会性を持たない世界は根本的ルールに誤りがあるとも思うのです
私は何かそういうものを通して世界が本当の社会性というものに開いていけるように働きかけたい部分があるような気がします
言葉が抽象的すぎてごめんなさい
まだ自分でも抽象的にしか掴めていなくて...
芸術、文化
そういうものは過去や未来と切り離された"今"には存在できない
過去と未来をすべて含んだ"今"、しっかりと繋がった"今"でなければ
私という人間も同じ
現代の美しさには過去と未来と切り離された"今"が必要なのかもしれない
それはそれで否定されるべきものではない
私もそのようなものに憧れてきたし、それも一つの美しさだと思う
だけれど、それだけが美とされる世界、それだけを美と感じてしまう心はやはり荒んでいるのだろう
過去と未来を全て含む"今"の方がなぜか時間を感じさせない
過去と未来と切り離された"今"よりも過去と未来を全て含む"今"の方が時間がなくなるような気がする...頭がぐにゃってなりますが...
私は私の過去とそして可能性(未来)としっかり繋がった人間として、今を生きることが私という人間の芸術だと思うのです
それを美しいと感じられる心
その心を持てたなら、調和へとかなり前進したということかもしれません
なんか話がまとまっていなくて、わかりにくくてすみません
ここまで読んでくださってありがとうございます
社会性を帯びた芸術、美術
今のテーマみたいです