思いやりって簡単に使う言葉だけど、とても難しくもあると感じる
マイナスな現実や感情は理性の部分だけで受け止めて、感覚感性感情で共振しない方が良いというのはよくわかる
意識の奥深くに入ってしまうから
エンパスの人は特に
でも、私は現実を受け止めるとは、現実を思いやること、現状を思いやること、感情を思いやることなのではないかと思う
思いやるという言葉が一番しっくりくる
思いやるって難しい
同情でもなく、かわいそうという慈悲魔でもなく、本当に思いやること
それには心の筋肉が必要だと思う
エンパスの人は特に一緒に溺れてしまいやすく、共倒れしやすいので、マイナスは理性の部分だけで認識して理解して、プラスの共振の方を強めていくというのは大事だし、一緒に溺れてしまうよりは、地上から浮き輪を投げる方が助けになります
時には斥力も発揮しなければなりません
(その斥力も思いやりを基に行使されるのがよいですね)
でも他人に対しても自分自身に対しても、本当に救おうと思うならやはり一緒に飛び込んで同伴してこそという部分があります
それが"本当に思いやること"と繋がるような気がします
本当に思いやることができないならば飛び込むべきではありません
その場合は距離を保ちながらできるだけの援助をしようとする方が助けになります
でももしそれができるなら、大きな救いの力となります
ただ、それは簡単なことじゃない
マイナス100の人(もしくは自分)を救いたいならプラス100の心の境地、心の筋肉がなければなりません
絶対値です
つまりマイナス100の事態を受け止め、本当に思いやるにはプラス100の心の境地と心の筋肉が必要だということです
それがないと同情や慈悲魔に陥って自らを沈めてしまうことになりかねません
慈悲魔に陥ってきた自分自身の性質や、エンパスのことや、斥力のこと、意識のこと、一人一人が自分の人生に対して負うべき責任、本当の助力とは何かなど、たくさんのことを学んできたからこそ、今"思いやり"というとてもシンプルな原点に還ってきたような気がします
自分の力量を見極めながらも、まずは(傷つき癒されていない)自分自身の側面に対して、救えるところは飛び込んでいこうと思う
思いやりをもって、しっかりと寄り添おうと思う
思いやりとしてありとあらゆる感覚感性感情をフルに使おうと思えた
リスクはあるけれど、やってみたい
思いやりを示して、本当に受け止めて、マイナスに溺れることなく寄り添い続ける、それだけで少なくとも5割は自然と浮上すると思う
プラスを入れて、プラスへと誘導するのはその後
そうすればスムーズにプラスが入ると思う
地上から声をかけて誘導するのとはきっと比べものにならないスピードだろう
自分のいかなる側面に対しても本当の思いやりを持っていこう