マルハバ音符

 

 

2013年3月から

 

ザアタリ難民キャンプでの


プロジェクトの立ち上げから


携わりました。




しかし、2014年3月に


その仕事を去ることにしました。




私はこの仕事が大好きでした。


寝る時間もない、友達もいない、


でも、キャンプで待っていてくれる


子どもたちがいる。




そう思うと、なんでもできました。




私が目指していたチームの形。


それは、まるで家族のような関係。


支え合い、助け合う、


そんなチームを作りたかったんです。




しかし、日が経つにつれ、


私は気づいていました。


完全に現地職員にナメられてました。




「ゆかじゃないと、一緒に仕事したくない」


「ゆかが辞めるなら、私たちも辞める」

 


そんな言葉に酔っていましたが、


彼らにとって私は甘い上司だったんです。




何度も説教されました。


何度も怒鳴られました。


何度もクレームつけられました。




それでも一つ一つ対応して


信頼を取り戻そう、


私が彼らのことを信じれば 


彼らも私についてきてくれる。


そんな風に思ってました。




現実は違いました。


会計処理をするとき、いつも計算が合いません。


毎回毎回「給料上げろ」の嵐。


「あなたとは仕事していられません」と


一番信頼していたスタッフの突然の退職。




もちろん、全員のスタッフが


私のお金を盗んでいたのではありません。


もちろん、本当に私のことを慕ってくれている


スタッフもいました。 




でも、私はもうここにいてはいけない、


私はリーダー失格だ、


そう思いました。





難民キャンプでの子どもたちは


そんな事も知らずに、


いつだって私のことを呼んでくれました。 




その声すら、辛かった時期もありました。



「私、そんなカッコいい日本人じゃないよ?」と。





(これは、当時4歳のオマール君。

 お兄ちゃんに連れられて、中学校へ。

 お兄ちゃんが授業中に私たちの部屋に

 遊びに来てくれました。


 お歌を歌いたいというリクエストに 

 サーメルがギターで歌わせています。


 見えますか、彼の後頭部。

 髪の毛が抜け落ちています。

 実は500円玉くらいの脱毛が

 数カ所ありました。


 この小さな4歳が、爆撃の音に怯え、

 夜中に家族と着の身着のまま、

 国境を越えて難民キャンプに逃げてくる姿を

 誰が想像できますか?


 どれだけ泣いたのでしょうか。

 どれだけ我慢したのでしょうか。

 

 オマール君の笑顔がお歌と共に

 今でも続いていますように)



そんな時に、一本の電話。


「大使館の◯◯です。


 今夜、ちょっとお話できませんか?」




在ヨルダン 日本大使館とは、


仕事についてお話はしたことはあっても


夜に仕事以外でお会いすることなんて 


ありませんでした。




怪しすぎる、、、




不信感丸出しで、お約束の場所に行くと、


「もうすぐ任期切れるでしょ?


 延長するの??


 しないなら、大使館で一緒に働かない?」




まぁ、こんな軽いお誘いではありませんでしたが


私にとっては眩しすぎるほどの光が


差し込んできた瞬間でした。




1年間築いてきたプロジェクト。


ザアタリの子どもたちの成長を見たい。


でも、私のメンタルが限界。




私は、『国境なき子どもたち』での仕事を去り、


ヨルダンに残り、大使館で働くという選択肢を


取ることにしました。




ヨルダンのことを知りたい。


ヨルダンで暮らす、シリア難民の支援がしたい。


 

 

To be continued... 




 

 

これまでのStory・・・

第一話 ヨルダンと私の出会い①

第二話 ヨルダンと私の出会い② ~ヨルダン最初の任務~
第三話 ヨルダンと私の出会い③ ~ヨルダン生活初心者~

第四話 ヨルダンと私の出会い④ ~いよいよプロジェクト開始~

第五話 ヨルダンと私の出会い⑤ ~心の奥にあるもの~

第六話 ヨルダンと私の出会い⑥ ~認められるということ~

第七話 ヨルダンと私の出会い⑦ ~私が生きる道~

 

 

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