「1959年サンフランシスコへの船旅」②

 

船の行先はサンフランシスコでしたが、横浜を就航してから、

日本列島を見ながら北上し、室蘭の港に2日停泊したのです。

その時、私は初めての北海道に来たと思い、

じっと船の中にいるのはもったいないと思って、パーサーに断り、

ひとりで札幌へ電車に乗ってゆきました。あてのない旅だったですが、

ただひとつ幼馴染の一人が、北海道大学の農学部に来ていることは

知っていましたので、運よく繋がったらと思い電話を掛けたのです。

大学ですから、たくさんの学生がいますし、

電話が繋がることを簡単には期待できないと思っていましたが、

電話の向こうの人は、名前を言っただけで、すぐに呼び出してくれたのです。

後で聞きましたら、その人は大学の学生寮の寮長をしていたので、

名前が知れ渡っていたようでした。

ビックリしたのは私ばかりでなくて、その幼馴染の友達の方でした。

 

かくかくしかじかで室蘭に入ったから、

電車でいま札幌に着いたと言いましたら、何処にいるか、すぐに行くと言ってくれて、

その日は藻岩(もいわ)山のロープウェイに乗せてもらったり、

お昼ご飯にレストランでエビフライをご馳走になったりして、

一日を小学校を卒業して以来の再会で楽しく過ごさせてもらい、

アメリカに着いたら報告の手紙を書くと言って、別れました。

大学でもリーダーシップを発揮して活躍していたこの幼馴染は農学博士となり、

今も某所で農業塾を開いているので、時々は遊びにも行ったりして、

情報交換を続けています。昔話をしたい時には、私はすぐにこの友人を頼ります。

何故ならば、教育者である彼はみんなの消息をよく知っているのです。

私は家族を連れて、彼の農業塾へ毎年1回くらいは遊びに行きます。

 

この話はまたいつか書きますが、船旅の話にもどります。

そもそも貨物船に若い女の子が一人というのは船のパーサーにとっても

珍しい事だったようで、身軽に北海道の荒野に消えた私がちゃんと時間に戻ってくるか

どうか心配していたようでした。   

③へ続く

 

 

   

                                                                  〈 東北支援〉

 

「1959年サンフランシスコへの船旅」①よりの続きです↓

 

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