大学教授

大学教授

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 大学推薦という制度が都道府県、政令施政都市の教育委員会から連絡があります。貴校で成績優秀で教師として資質能力の長けた学生を一人、推薦して いただきたい・・・という制度であります。かつてはなかった制度です。今は小学校の先生が不足し、良い人材をほしいという表れの制度ですね。

 で・・・残念ながら・・・・それで秀と優をびっしり集めており、しかも教師向きの学生がその制度を活用しないという悲しい現実があります。



大学教授

 人物保証・・・裏付け・・・なのですが・・・・千載一遇のチャンスだったかもしれないのに・・・。

それを断った・・・・覆水盆に返らず・・・・残念です。(・・・しかし、断ったその思いを自らの力に昇華して、がむしゃらに頑張り、栄冠を勝ち得る ならば・・・それはすごいことです。要は、残念かどうかは塞翁が馬・・・・来年の春、卒業の時に進路を切り開いているかどうか・・・・)

 さて・・大学も一緒です。

 今、私学の教育学部が急増し・・・・後10年は持つでしょうが・・・その先は

厳しい時代が来ると思います。採用が減るからです。先生に送り出せない・・免許が取れるというかっこだけの教育学部はつぶれると思います。

 小学校教員の年齢構成がいびつだからそうなります。

そんな意味で、近大姫路大学は必死にこつこつ試験対策に取り組んでいます。そして、学生の意識を高めようと頑張っています。実のある大学になるために・・・。

さて

 そんな中・・・私学の教育学部理科専門の先生はどんな評価基準で採用されているのでしょう・・・・・。

 近畿圏の私立大学の小学校課程の理科教師を見渡しますと・・・・・あれ・・・みんな知っている人ばかりだなと驚きます。

私は中学校教師を30年していました・・・にもかかわらず・・・大学人が知っている人ばか

りなのです。

 なぜでしょうか・・・?!

 それは類は友を呼ぶ・・・・


大学教授

 ・・・以前の私立大学は 国立大学を停年退官された名誉教授を採用していました

でも今は

生き残りをかけて、授業のうまい・・あるいは実践研究をしている学校現場の先生を採用しています。

 これを読んでいる小中高の理科の先生で大学の先生になりたい人・・・何かの参考になるかもしれません。

 今、頭に思い浮かぶことをザザザザーーーーと近畿圏の私立大学の先生のことを書きます。

それでは

先ず・・京都橘大学・・・S先生・・・元小学校の先生です・・小学校における理科教育の実践で有名です。修士の研究は科学史、科学論ですか・・・。京都の観察会でご一緒しました。年上です。

同志社女子大・・・D先生、神大附属の同僚です。彼は実践もすごいけれど附属ならではの研究もできます。協働研究がこだわり・・・・

立命館大学のT先生・・・彼女は私の大学の同級生(いつも一緒にいた友達(^_^))で元高校化学の先生・・とにかく勉強家。ドラマ教育、医学衛生、化学教育・・・。立命にはもう一人、ベテランのY先生もいます・・・友達の友達、eランニングが素晴らしい!!

奈良は帝塚山・・・ここは非常勤ですね。奈良女子大附属の授業の上手い先生とか奈良教育大学の先生にきてもらっているはずです。

大阪大谷大学・・・神戸大学出身のK先生・・実習の教師をしている時の教え子的かな・・・いいやつです。がんばりやさん。

相愛大学は私が非常勤なので・・・・・・・。

神戸女学院は私の大好きな高校の自然サークルの先輩M先生の娘さん・・・神戸大学の稲垣研の学びをされました。もうひとりN先生・・マイクロスケールの実践・・良い研究家たちです。

甲南女子大は私の研究友達のI先生、元中学校の先生です。理科教育の国際比較、評価、生物教育の研究が優れています。

園田大学・・・これは友人のK先生が非常勤・・・・・

関西学院大学は偶然、喫茶でお会いしたI先生・・・・・子どもと自然、理科遊び系がすごい聖和大学からの延長線です(^_^)聖和は友達の素敵なT先生がいます!

関学にはもうひとり・・M先生・・彼は和歌山の小学校の元先生・・私と似た自然系 ヤマネの研究、子ども向けの本をいろいろ読みました

武庫川女子・・・D先生・・・採用試験で尽力されたかた・・若いH先生、彼は若いが元小学校先生で授業がうまい・・・・四国におられました

甲子園大・・・これは生物エキスパートで一緒に本を書いた元神戸の高校のN先生

採用試験にこだわる親和女子・・ですが、意外に学校現場ではないので知らない先生たちです。I先生とN先生・・・でもN先生は神大系で現場経験者かな・・・。

最後に

岡山の就実大学のA先生・・・すばらしい先生・・・私とおなじ元中学校の先生・・・・なにが素晴らしいかって研究発表会でなぜか気になって現場の頃から一緒に酒を飲んでくれました。・・・夜遅くまで・・・夢を語ってくれました。30ぐらいから。

ということで

寝る前に推敲もせずに・・ばばば・・・と書きましたので文責かんべんの上記の

記録

ですが・・・ここから見えるのは

どの大学も

採用試験を意識し、しかも、うまい授業ができる学生を育てることを意識している

私と似たタイプ????(私は楽天主義・・(^_^))

つまり

現場経験のある人かつ研究もかじっている人

(①修士以上は必要です。それも修士をとったというだけではだめです。著書や論文をある程度そろえておく、できれば博士号をとっていること←これ重 要・・・しかし、京都のノートルダム女子大の先生は学士です。しかし彼は・・・修士と違うけれど、研究はばりばり、もと大阪教育大附属の教師で授業が鍛え られている梶田叡一の研究会所属・・・②学会や理科研究会や理科サークルに所属し理科のネットワークに入っていて、どんどん発表をしていること。知られて いなければ声はかからない)

しかも

学生の出口も意識できる人・・・教育者らしい「22の春に泣かさない」と言いそうな人

・・・・ですね。

大学の先生になりたい現場の先生は、上の先生方の生き方を参考にしてください。

【結論】

大学が生き残りをかけてしていることは

採用試験の合格率を高めようとしていること  

そして  教育の実践力を大学生に培おうとしていること

それで

現場の生きのいい先生を大学は大学人として求めているのです。


大学教授

大学教授の三条件
大学教授は不思議な職業である。確かに、恵まれているとみえる要素が多い。講義日は、たいてい毎週二、三日にすぎないばかりか、長い夏休みも享受できるので、他の職業に比べて自由時間が格段に多い。また教育に関わる職業でありながら、事前に教育概論を履修していることが求められることはなく、制度的に特定の資格試験が規定されているわけでもない。さらに、若い世代を相手にするので、常に若々しい気分でいられる。そして大学のキャンパスは、たいてい広々とした緑の多い場所に立地しているので、職場の物理的環境にも恵まれている。また、また一般企業と違い、定年前に肩たたきで退職を求められることもまずない。そのうえ、社会的信用も高い。そして、これらのメリットにもかかわらず、給料が劣悪というわけでもない(さして高水準ではないが)。
良いことずくめのように見える。だが、誰でもすぐにこの職業に就けるという仕組みにはなっていない。ということは、大学教授には、当然の前提とされてる基本的な資格があるからではないか。それは、次の三つの条件だと私は思う。
探求心
第一は、社会現象やものごとについて、従来とは異なる新しい視点から、あるいは最も深いところから理解してみようという姿勢、すなわち「探求心」を持っていることである。他の誰も考えつかない新しい知見を得ようという姿勢が直接これに該当する。また、それだけでなく、既存の知識を一つの新しい枠組みに従って組立て直してみようという姿勢もこれに含めて考えてよかろう。要するに、新しい切り口の発見だ。社会科学の場合、状況が種々変化するなかでも一つの視点ないし枠組みに則って対象を切り取ってみる姿勢とその勇気、それが研究者の基本的条件といえるではないか。逆にいえば、社会の状況をその時々につじつまを合わせて器用に解説する仕事、それは評論家の仕事であり、研究者のそれではない。
探求心があれば、それは結局のところ、学術論文に結実するはずである。頭の中に漠然としたイメージを宿しているのと、論文として完成させるのとでは格段の隔たりがあり、また学会や社会に対する貢献度も異なってくる。大学教授の仕事の大きな部分が論文で評価されるのは、けだし当然であろう。
教育心
第二は、当該分野における高度の知識を学生に伝授することができるだけでなく、上
記のような探求心が人間として社会に生きていくうえで重要であることを学生に心底から納得させ、また学生が自分の頭で考える習慣をつけさせようとする姿勢があることである。すなわち「教育心」があることだ。あるいは、教育に対する情熱と責任感といってもよいと思う。
これには二つの面がある。一つは、探求心や自分の頭で考えることの重要性をいくら口先で説いてみたところで、それだけで教育の成果が得られるものではないことだ。学生は、教師自らがそれを実践していることを見せられてはじめて、それらのことを納得する。だから、大学教授の教育面での責務は、高校までの教育とは本質的に異なり、研究活動(上記第一の条件)と一体化してはじめて果たすことができるものとなる。もう一つの面は、大学教授にとっても解らないことはいくらもあるわけだから、そうした場合には自分自身まだ理解ないし解明できていない、ということを学生に対して述べる誠実さと勇気が求められることではないか。こうしたウソのない姿勢があってこそ、学生に対する教育がほんとうに意味を持つ、と私は思う。
「教える」ことから得られる恩恵には、大きいものがある。それは、次の世代を担う若者を育てるという喜びのほか、教えることを通して教える側が多くのことを結果的に学ぶことになる点である。教壇に立って講義をする(ものごとを第三者に教える)場合には、単に本人がそれを理解できている、というのとは格段に異なる深い理解を必要とする。だから「教えることは学ぶこと」になる。現に、学界に転出している当会(日本銀行旧友会)メンバー各氏からは、常々このことを聞く機会が多い。
自己規律力
第三の条件は、従来あまり述べられていないことであるが、自分自身の行動を職務遂行に向けて自ら責任をもって完全に管理できること、つまり「自己規律力」をもっていることである。むろん、聖人君子になることは求められていまいが、大学教授は就業規則や社訓といった面からの強い規律付けが乏しいので、自分自身のなかに倫理的な羅針盤を持ち、それに従った行動ができること、が求められていると思う。とくに、圧倒的な自由時間を自己管理できることが不可欠の条件になるといえるのではないか。
講義日が少なく、また夏休み期間も長いので、第三者からみた場合「優雅な時間が持てていいですね」などと冷やかされることがある。それどころか、大学教員にはたいていサバティカル・リーブ(研究休暇)の制度があり、通常、六年間継続して講義を行えば次の一年間は講義や学内任務から一切開放される(この間に何をするかは自由である。筆者は幸いにも現在その期間中である)。こうした自由度の高さは、あくまで時間を責任を
持って自己管理できることが前提となる時に初めて成立するものである。こうした自由度の高さとそれに伴う自己規律力こそは、他の多くの職業と本質的に異なる一つの特徴ではなかろうか。
さる7月20日(祝日)。毎年2回おこなっている子供の科学ハムクラブ(JH1ZNI)移動運用イベントの一環として、横浜開港150周年記念局として開局している特別局(Y150)チームとJH1ZNI(子供の科学ハムクラブ)がコラボしたイベントが開催されました。
  午前中は、約30名のジュニア達が集まり人工衛星SEEDSの受信にチャレンジしたり特定小電力トランシーバを利用したFOXハンティングなどをおこない ました。私もJH1ZNIの臨時スタッフとしてお手伝い。大勢の方々にご参加いただき、スタッフ一同から嬉しい悲鳴が。今回も人工衛星SEEDSの製作者 である日本大学理工学部航空宇宙学科の皆様にもスタッフとして参加いただき、人工衛星SEEDSの受信体験や展示など大活躍。ありがとうございます。詳し くは以下のサイトに開催記がございますので、ご覧ください。
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