フジテレビ系月9ドラマ『5→9 ~私に恋したお坊さん~』に出演し、約8年半ぶりに女優復帰した紗栄子さん。ダルビッシュ有選手との結婚&離婚、そして先日のZOZOTOWN社長との交際報道などにより、様々な意見をぶつけられている彼女ですが、まずはYAZAWAを分析することでその人となりを考えようと武田砂鉄さんは試みます。
●まずはYAZAWAの話
矢沢永吉は20代後半、世間で認められている自分がイヤになり「ヤザワ? ヤザワがナンボのもんよ」と苛立ったこともあったが、40代半ばで「そうか、俺はヤザワなんだ」とふと思い、50代に入ってから「『みんなの矢沢永吉』なんだ」と感じるようになったという(『イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学』)。売れっ子の自分を嫌いになり、その後で自分を取り戻し、やがて自分は自分だけのものではなく、みんなのものだと気付く。特に矢沢のファンというわけでもないのだが、こうして、自分の道程をその時々の純粋な心持ちに従い突き進んできた姿勢に惹かれる。
「自分の価値を高めるための心掛け」、これはいつだって本屋さんの一角を牛耳っているメソッドだが、それらはあくまでも間接的に成されるべきであり、声を発して直接的に自分の価値を開けっ広げにするのは慎むべき、という見解は強まっていく。一方で矢沢は時折、「矢沢が何をしてくれるのか楽しみ」という形容を使う。矢沢自身が矢沢に期待し、周囲のファンが更なる期待を向けるという「期待の重層性」が、カリスマであり続ける理由にも繋がってくると思うのだが、この手の表現者とファンの重層性は、まったくの外部から見れば「宗教的」と半笑いで済まされてしまうことも少なくない。
●「金目当てで結婚するからこうなる」とは
自分で自分をことさら持ち上げてくる芸能人に手厳しいのは今に始まったことではないが、自分で自分を持ち上げるようにして、こんな風になれたから「みんなにお裾分けしたい」と慮る善意が様々なビジネスとして結実する現在、そこで調節具合を間違えて心象を損なうと、「ホントに金儲けが好きだな」という文句が降りかかることになる。この数年、その文句をおおよそ背負ってきたのが紗栄子である。タレントやアナウンサーがスポーツ選手と結婚し、彼の食生活のサポートをするためにジュニアアスリートフードマイスターの資格をとったりすると付け入る余地のない賞賛を浴びるが、結婚生活が破綻した途端に、付け入る余地が女性側に生まれ、「金目当てで結婚するからこうなる」という放射をいたずらに浴びる場合がある。
ダルビッシュ有と別れた紗栄子はその放射をいくらでも浴びてきたが、その放射をエネルギーに変え続ける力を持つ。先日、資産2000億円といわれるZOZOTOWN社長との熱愛が発覚、フジテレビの安藤優子アナに「紗栄子さんは2000億円と付き合ってる感じ」とまで言わせた。ZOZOTOWNで服を買ったことはないが、彼のオフィスのドアには、どデカく「愛」と一文字だけ書かれていると知り、アクセスがますます遠のく現在。相手の資産だけでなく、イケイケっぷりも込みで、交際自体が闇雲に叩かれていく。
●「ドラマに出てほしい」という声に答える
今現在放送されている月9ドラマ『5→9 ~私に恋したお坊さん~』に約8年半振りに女優として出演している紗栄子だが、その出演情報を解禁した9月20日のブログに「『ドラマに出てほしい』という声にようやく答えることができるようになりました」と書いた。案の定、「そんな声、どこから出てたんだよ」との厳しい突っ込みも噴出したわけだが、例えば現役時代の谷亮子が自ら「前人未到の四連覇」と述べてきたようなスケール感が、この人にもある。英会話教室で働く主人公(石原さとみ)に思いを寄せる同僚男性のことが好き、というありがちな役どころだが、実際に観ても、「私じゃダメですか?」など無難な台詞のみを与えられている印象が強く、現時点では「ドラマに出てほしい」と高まった声に答えている感じは薄い。
金持ちが好き、と反復されてきた突っ込みはそもそも彼女には響かない。ダルビッシュ有との第一子を生む際、出産を決意した理由に「彼も私も子供を一人育てることができるくらいの、社会人としてのお仕事、そして収入があったので、出産という決断をすることができました」とした上で「子供は親を選ぶことができません」(サエコ『Saeko』)と、ナチュラルに選民意識を明らかにする。その意識に人々は苛立つのだが、選民を前提にした上であれば確かに筋は通っている。
●矢沢は矢沢、私は私
矢沢が音楽を始めた理由は、「お金が儲かると聞いたから」である。矢沢はそれを隠さない。矢沢が「ヤザワ? ヤザワがナンボのもんよ」と苛立ったのは20代後半、ならば20代後半の紗栄子もそろそろ「サエコ? サエコがナンボのもんよ」と自分に苛立つ時期に入ってきているかと思いきや、状態としてはもはや、40代半ばの矢沢のような「そうか、私はサエコなんだ」にある。彼女の著書には『Saeko One&only 「私は私」。ルールに縛られない、おしゃれな生き方』もある。私は私、なのだ。
「ドラマに出てほしい」という声にようやく答えることができる、という境地は、矢沢が50代に入ってから「『みんなの矢沢永吉』なんだ」と気付いた境地とも程近い。そもそも矢沢と紗栄子を比較する必然性を見出せないままだが、こうして比較してみると時代を駆け抜けてきた矢沢が、矢沢を疑い、矢沢を認め、矢沢をシェアしようと気付いた数十年の心境の変化を、紗栄子はわずか数年で取り扱おうとしている。それって、確実に生き急いでいる。「私は私」なのだから、それで一向に構わないかもしれないが、周囲は「これは危うい」という見解で一致団結している。
ヨンジュンも『みんなのぺ・ヨンジュンなんだ、』と気づき、自分をシェアする境地に達してくれたら良かったのに~
ヨンジュンの結婚相手のパク・スジンのこと全く知らなかった時に、どんな人?とマスコミ関係者に聞いたら、『日本の芸能人の立ち位置で言うなら紗栄子みたいな人』と言われました。
紗栄子の事は実はプライベートもよく知っている距離の人だったから、笑っちゃったこと、この記事読んでフト思い出しました。
やっぱり似てるかも~
●まずはYAZAWAの話
矢沢永吉は20代後半、世間で認められている自分がイヤになり「ヤザワ? ヤザワがナンボのもんよ」と苛立ったこともあったが、40代半ばで「そうか、俺はヤザワなんだ」とふと思い、50代に入ってから「『みんなの矢沢永吉』なんだ」と感じるようになったという(『イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学』)。売れっ子の自分を嫌いになり、その後で自分を取り戻し、やがて自分は自分だけのものではなく、みんなのものだと気付く。特に矢沢のファンというわけでもないのだが、こうして、自分の道程をその時々の純粋な心持ちに従い突き進んできた姿勢に惹かれる。
「自分の価値を高めるための心掛け」、これはいつだって本屋さんの一角を牛耳っているメソッドだが、それらはあくまでも間接的に成されるべきであり、声を発して直接的に自分の価値を開けっ広げにするのは慎むべき、という見解は強まっていく。一方で矢沢は時折、「矢沢が何をしてくれるのか楽しみ」という形容を使う。矢沢自身が矢沢に期待し、周囲のファンが更なる期待を向けるという「期待の重層性」が、カリスマであり続ける理由にも繋がってくると思うのだが、この手の表現者とファンの重層性は、まったくの外部から見れば「宗教的」と半笑いで済まされてしまうことも少なくない。
●「金目当てで結婚するからこうなる」とは
自分で自分をことさら持ち上げてくる芸能人に手厳しいのは今に始まったことではないが、自分で自分を持ち上げるようにして、こんな風になれたから「みんなにお裾分けしたい」と慮る善意が様々なビジネスとして結実する現在、そこで調節具合を間違えて心象を損なうと、「ホントに金儲けが好きだな」という文句が降りかかることになる。この数年、その文句をおおよそ背負ってきたのが紗栄子である。タレントやアナウンサーがスポーツ選手と結婚し、彼の食生活のサポートをするためにジュニアアスリートフードマイスターの資格をとったりすると付け入る余地のない賞賛を浴びるが、結婚生活が破綻した途端に、付け入る余地が女性側に生まれ、「金目当てで結婚するからこうなる」という放射をいたずらに浴びる場合がある。
ダルビッシュ有と別れた紗栄子はその放射をいくらでも浴びてきたが、その放射をエネルギーに変え続ける力を持つ。先日、資産2000億円といわれるZOZOTOWN社長との熱愛が発覚、フジテレビの安藤優子アナに「紗栄子さんは2000億円と付き合ってる感じ」とまで言わせた。ZOZOTOWNで服を買ったことはないが、彼のオフィスのドアには、どデカく「愛」と一文字だけ書かれていると知り、アクセスがますます遠のく現在。相手の資産だけでなく、イケイケっぷりも込みで、交際自体が闇雲に叩かれていく。
●「ドラマに出てほしい」という声に答える
今現在放送されている月9ドラマ『5→9 ~私に恋したお坊さん~』に約8年半振りに女優として出演している紗栄子だが、その出演情報を解禁した9月20日のブログに「『ドラマに出てほしい』という声にようやく答えることができるようになりました」と書いた。案の定、「そんな声、どこから出てたんだよ」との厳しい突っ込みも噴出したわけだが、例えば現役時代の谷亮子が自ら「前人未到の四連覇」と述べてきたようなスケール感が、この人にもある。英会話教室で働く主人公(石原さとみ)に思いを寄せる同僚男性のことが好き、というありがちな役どころだが、実際に観ても、「私じゃダメですか?」など無難な台詞のみを与えられている印象が強く、現時点では「ドラマに出てほしい」と高まった声に答えている感じは薄い。
金持ちが好き、と反復されてきた突っ込みはそもそも彼女には響かない。ダルビッシュ有との第一子を生む際、出産を決意した理由に「彼も私も子供を一人育てることができるくらいの、社会人としてのお仕事、そして収入があったので、出産という決断をすることができました」とした上で「子供は親を選ぶことができません」(サエコ『Saeko』)と、ナチュラルに選民意識を明らかにする。その意識に人々は苛立つのだが、選民を前提にした上であれば確かに筋は通っている。
●矢沢は矢沢、私は私
矢沢が音楽を始めた理由は、「お金が儲かると聞いたから」である。矢沢はそれを隠さない。矢沢が「ヤザワ? ヤザワがナンボのもんよ」と苛立ったのは20代後半、ならば20代後半の紗栄子もそろそろ「サエコ? サエコがナンボのもんよ」と自分に苛立つ時期に入ってきているかと思いきや、状態としてはもはや、40代半ばの矢沢のような「そうか、私はサエコなんだ」にある。彼女の著書には『Saeko One&only 「私は私」。ルールに縛られない、おしゃれな生き方』もある。私は私、なのだ。
「ドラマに出てほしい」という声にようやく答えることができる、という境地は、矢沢が50代に入ってから「『みんなの矢沢永吉』なんだ」と気付いた境地とも程近い。そもそも矢沢と紗栄子を比較する必然性を見出せないままだが、こうして比較してみると時代を駆け抜けてきた矢沢が、矢沢を疑い、矢沢を認め、矢沢をシェアしようと気付いた数十年の心境の変化を、紗栄子はわずか数年で取り扱おうとしている。それって、確実に生き急いでいる。「私は私」なのだから、それで一向に構わないかもしれないが、周囲は「これは危うい」という見解で一致団結している。
ヨンジュンも『みんなのぺ・ヨンジュンなんだ、』と気づき、自分をシェアする境地に達してくれたら良かったのに~
ヨンジュンの結婚相手のパク・スジンのこと全く知らなかった時に、どんな人?とマスコミ関係者に聞いたら、『日本の芸能人の立ち位置で言うなら紗栄子みたいな人』と言われました。
紗栄子の事は実はプライベートもよく知っている距離の人だったから、笑っちゃったこと、この記事読んでフト思い出しました。
やっぱり似てるかも~