韓国映画「声もなく」 観に行ってきました~♪
ユ・アインが主演していて、韓国映画界の賞を総ナメしていた作品
ずっと観に行きたいと思っていたけど、やっと行けました~
映画『声もなく』2022/1/21公開@koemonaku
映画『声もなく』 青龍映画賞・百想芸術大賞で5 冠👑 アジア・フィルム・アワードで2冠👑 『バーニング 劇場版』のユ・アインが新人女性監督とタッグを組み、韓国からアジアまで席巻の快挙! ポスタービジュアル完成しました✨… https://t.co/41fGyrHlPM
2021年10月19日 13:43
貼り方がよくわからないけど、初めて?Twitterを貼ってみた!
ストーリー
卵の移動販売で生計を立てる足の悪いチャンボク(ユ・ジェミョン)と口のきけないテイン(ユ・アイン)。
信心深いチャンボクと面倒くさいそぶりをみせながらも与えられた仕事を黙々とこなすテインだが、生活のために犯罪組織から請け負う死体処理を裏家業としていた。
ある日、誘拐された少女を預かることになるが、トラブルが重なり、誘拐犯となってしまう。
誘拐された少女チョヒ(ムン・スンア)は身代金を中々払ってもらえず、テインとチョヒとテインの妹ムンジュの疑似家族のような生活が始まる。
ユアインが好きでずっと観たかった作品です。
ユアインが15kgも増量していて、全体的にダルっとしていて、顔もむくんでたー!
全然カッコ良くなかった。←言い方
でも、作品の中ではテインそのもので、声を出さないのに、怒り、焦り、イライラ、動揺、嬉しさ、悲しみ等、いろんな感情を表情や体で表現していて、すごい役者さんだと思った。
そして、たまにカッコ良さが出ちゃって、ハッとなった←なにそれ
内容はというと・・・。
美しい田園風景と自転車。
口のきけない青年と足を引きずるおじさん。
誘拐された女の子と世間から隔離された世界で生きる女の子。
いろんな描写の中で物語は時にはユーモアを交えながら進んでいく。
犯罪映画特有の怖さはほとんど皆無で、淡々と日常のひとコマのように描かれていました。
ラストシーンは確かに切ないんだけど、切ないというよりも、これからどうなってしまうんだろうと心配してしまった。
それが切ないということか・・・。
結論から言うと、スカッと爽やかではないし、号泣するほど悲しいってわけでもない。
何が正しかったのか?どうしたら良かったのか?
彼が悪かったのか?
どうしてそうなってしまったのか?
そんな答えのない問いかけを自分の中でぐるぐるしてしまう映画でした。
ぐるぐる考えてしまうけど、一番思い出すのは美しい田園風景と自転車。
そんな不思議な映画です。
もう一度観たいな~。
もっと書きたいけど、これ以上はネタバレなしには書けないので、ネタバレしたくない方はここまでで。
この後、ネタバレで書きますー!
ここから、ネタバレです。
この二人の恰好を観たら笑うでしょー!!!
だけど、この可愛い恰好で死体処理するんです。
生活のために死体処理をする犯罪者ではあるけど、彼らに悪のイメージはない。
卵販売の仕事と同じように与えられた仕事である死体処理をするだけ。
チャンボクは、本来は信心深い人で、死体処理する時も聖書の言葉をかけたりする人。
だけど、生活のために生きるためにギリギリの仕事を引き受ける。
チャンボクが身代金を受け取る時、怖さから泣き出しそうになるシーンがあるけど、本当は普通の人なんだよなって思った。
悪い人たちじゃないけど、悪いこともしないと生きていけない。
これってそんなに悪いことじゃないんじゃないか?って思わず思ってしまう。
そう思わされるのが、この映画のすごいところだと思う。
チャンボクは最後には死んでしまうんだよね。悲しい。
そして、テインを置いて死なないでー!って思っちゃった。
この保育園のような場所で、誘拐した少女をどうするか、身代金をどうするか、相談するんです。
とても、そんな物騒な犯罪について、話しているシーンには見えない。
チャンボク(ユ・ジェミョン)とテイン(ユ・アイン)も自ら犯罪を犯す気はさらさらない。
だから、この表情。
(この二人の演技力は本当に素晴らしい。)
それなのに、どんどん巻き込まれてしまう。
監督の「善悪の境界が曖昧な中で日常に起こる悲劇を書きたい」マジックにどんどんハマっていく私。
ひょんな事で誘拐犯となってしまうけど、一緒に生活するうちに情がわくテイン。
散らかり放題の家の中を片付けてたり、妹のムンジュにテーブルで食べることを教えたり、洗濯したり、普通に生活することを教えてくれたチェヒに少しの母性を感じたりしたのかな。
テインはきっと母の愛は知らないですよね。
そう思ったのは、テインがチェヒを隠そうとして、警察官と揉み合いになり、頭をぶつけて殺してしまったシーン(実際は生きていたけど)。
殺してしまったことに激しく動揺するテインをチェヒが埋めるよう促したり、一人で埋めてるテインが怖くないように手を叩いてあげてた描写があったから余計にそう感じました。
このシーンって、女性監督ならではかなって思う。
この警察官を埋めるシーンには、前置きシーンがあって。
ある時、チェヒが夜中に外にあるトイレにいくんだけど、怖いからテインについてきてもらって、外でちゃんと待っているか聞くんです。
テインは口がきけないから、苦肉の策として、手をたたく。
夜中のトイレが怖くて、テインに手をたたいてもらうチェヒ。
一人で警察官を埋めるのが怖いだろうと思って、手をたたくんですよね。きっと。
この時のチェヒの気持ちはラストシーンを思えば、考えるのが難しいんだけど、その時は確かにテインを励ますような気持ちがあったように感じました。
いや、それこそが監督の罠で(←言い方)、生きるため(逃げるため)に必死なチェヒが賢い頭でテインを味方につけようとした行動なのかもしれない。
そういう気持ちもあったかもしれないし、テインに少しの情があったかもしれないし、わからん。
その辺も曖昧だけど、ヒトの気持ちなんて曖昧なものですよね。
ましてや子供。
と、それを考えても答えは出ないのに考えてしまうのがこの映画の沼なのかもしれない。
テインは、チャンボクの指示で人身売買の人にいったんはチェヒを渡してしまうけど、家に戻ってチェヒが洗濯してくれたスーツを見て、思い直す。
その時の気持ちの変化が声もないのに絶妙のユアイン。素晴らしかった!
人身売買の人に連れて行ったり、チェヒをおいてくる時の良いのかな?と戸惑ってる表情。
家に帰ってスーツを見た瞬間。
人身売買の人から取り返しにバンを全力で自転車で追いかけたり。
具合の悪いチェヒのために薬を買いに行ったり、逃げ出したチェヒを必死に探して、無事だった事で泣いてみたり。
特に逃げ出したチェヒを必死に探して、見つけた時のシーンは印象的だった。
見つかったことに安堵したような怒っているような、それでいて怪我がないか確認したり。
全身で表現してた。
明らかにチェヒに情がわいているテインがチェヒを学校へ戻そうとつれてくるラストシーン。
チェヒが先生の元へ行こうとしてもなかなか手を離さないのが切なかった。
そして、先生のもとに戻れたチェヒがテインを誘拐犯だと言ってしまうんだよね。
なんで、誘拐犯だと言っちゃったんだよー。
テインの元であんなに笑ってたじゃないかよー。
それは言わないでほしかったよー。
と思ったのは、私だけではないと思う。
逃げるテインが着ていたスーツを投げ捨てて映画は終わる。
確かに誘拐犯なんだけど、犯罪者なんだけど、捕まってほしくないと思ってしまった。
これから、テインはどうなるんだろうかと思ってしまった。
テインの妹も。
救いは、殺してしまったと思った警察官が生きていたこと。
少なくとも、人は殺してなかった。
だけど、これから彼はどうなるんだろう・・・。
そんなことをずっと考えてしまう。
そんな映画だった。
テインやテインの妹のような暮らしって、今の韓国にも本当にあるのだろうか?
あるんだろうなあ。
日本にはどうだろうか?
流石にないのかな?
そんな事も考える映画だった。
この映画のテーマは重い。
考えていると、すごく重いんだけど、思い出すのは、美しい田園風景なんだよね。
そこを自転車で走る不機嫌そうなテイン。
それを思い出してしまう。
そんな不思議な映画でした。
余談なんだけど・・・。
この映画の韓国でのタイトルは、
소리도없이 (ソリドオプシ)
この韓国語の響きが好き。
でも、日本語になるとどうだろうかと思ってたけど、邦題も良かった。
声もなく
響きもいいし、「ソリドオプシ」と雰囲気が似てる気がする。
たまに本当に残念な邦題がつくときがあるから・・・。
それにしても、ユアインの変貌ぶりはすごいし、声なしのあの表現力はすごいと思う。
いくつも賞を取るだけのことはあるー!
次の作品が楽しみだ!
うわー!久しぶりにブログ書いたら、とりとめもなくこんな長文。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます