雨降りそうな天気だ~

五輪野球、対韓国、残念orz

さて、ジョニーも中学生になっていた当時、周りではモンゴル800、ゴーイングステディが熱くなってました。

みんな聞いてたね♪

俺も周りが聞いてるし聞こう。みたいな感じで聞いてたね~

自分から積極的に音楽しよう(・∀・)みたいなのはまだ無かった。

嫌々やってたピアノは、役に立つみたいで音楽のテストは完璧だたw

合唱コンクールで伴奏したり、需要はあったみたい。

そして月日は流れ、中2の冬ぐらいかな?
学年でも所謂、不良たちがある日3階ぐらいの教室でギターを弾いてるのを見上げた。

それが何でかは分からないんだけど、どうしょうもない位にカッコよかった(°д°;)

家に帰るなり、埃を被ってたクラシックギターを手に取って、音楽の教科書見ながら弾き続けた。

綺麗な音なんて出るわけもないwチューニングするのも一苦労。

でも楽しかった( ̄▽ ̄)とりつかれたって言ってもいいぐらいww

それから春。14才の誕生日。

親に頼み込んでアコースティックギターを買ってもらった(今も現役b)

それからは病気だったなw部活が終わって家帰ったら何時間もずーっと弾いてたw

音楽と読書には寛容な我が家の特性をフル活用だったな(^-^;

指から血が出ても関係ねぇw

3ヶ月ぐらいでまともに曲が弾けるようになった♪

毎日CDプレイヤーとセッション始めましたw

それまでは上記の通り、みんなが聞いてた音楽を聞いてたジョニ(中学生当時)でしたが、この時を境に自分が好きな音楽、興味のある音楽の幅が一気に加速してきました (´▽`)

ゆずもギター始めてから聞いたかな~ 初めて弾いた曲は、ゆずのサヨナラバスでした。それから全曲集を買って、CDも全部借りて、ゆずモアまではほぼコンプリート!

長渕剛は、野球部の顧問の先生が大好きで、バス酔いする俺は先生の車で試合とかに行ってたのね。そこで、先生に長渕sのカッコよさを説かれ、見事に説き伏せられw見事に虜になりましたww

他にも色々聞いたけど、それはまたの機会に。



最大の転機は中3の冬。

受験勉強とは名ばかりに、部活も引退して暇だった俺は、放課後喋ったりしてたのね。ある日、そろそろ下校時刻って時に英語の若い先生(バンドマン、ベーシスト)がハードケースを抱えて音楽室に向かっていった。

「先生何しとん?」 「君も来るかい?」

もちろん行きましたとも。

下校時刻過ぎても残ってられるワクワク感、みんな帰った後で俺しかいなくて何が起こるのか予想もつかない期待感。

3階の音楽室まで一気に駆け上がった。思い切ってドアを開けた。

そこには、英語の先生(以下・鉄ちゃん)とブライアン(外国人の先生)、元担任の3人が。

鉄ちゃんはベース、ブライアンはエレキギター(俺の憧れの一品)、元担任はドラムをそれぞれかまえて、アイムレディーと言った感じ。

状況が把握できなかった俺をよそに、突然始まった。

アコースティックギターの生音しか聞いたことのない俺にはすぐには理解できなかった。

音が耳に飛び込んでくるんじゃなくて、体に思いっきりぶつかってくる感じ。6年たった今でも忘れられない。響くベース音、単調だけど気分が伝わるドラム、駆け抜けるギター。

思春期でむやみに悩んだり、イライラしたりしてるモヤモヤを吹っ飛ばしてくれた気分だった��('◇'*)

しばらく続いたセッションに呆気に取られた俺に、ブライアンが差し出したギター(ギブソンのレスポールスタンダード)。中学生には手が届かない代物で、お店で弾くのも気が引けてたw

英語で「やりなよ」って言われた。笑顔の値段は100万ドルw躊躇したけど、受け取った。ちょっと鳴らした。部屋が揺れた。俺も震えたw

コードは鳴らせるようになってたけど、ソロなんて全然出来なかった。鉄ちゃんに、簡単なコード進行を教えられて「あとは好きにやっていいよb」って言われて、生まれて始めてのセッションが始まった。


技術も何にも無いのは百も承知だったけど、コードだけをひたすら鳴らし続けた。自分で出した音が体に返ってきて、それが気持ちよくてテンションがメーター振り切って、10分ぐらいそうしてたのかな。

体から熱が引かなかった。気付いたらチャリで家に帰る途中だった気がするww

チャリをこぎながら川に向かって、叫んでたwデカイ声思いっきり出して叫んでたww

この時に、初めて音楽と出会ったんだと今も理解してる(・∀・)

読んで字の如く、音を楽しむことができたのだよb

ジョニの楽しい音楽の時間が始まった( ´_ゝ`)





はい。ちょっと癪にさわる文章ですよね。わかります。

思い出したまんまに書いたからねw

音楽編はとりあえずこんなもんだ

ノシ