三役格行司・木村玉治郎の退職届騒動のウラ側にあるのは「約9年ぶりの『木村庄之助』誕生と年功序列人 | ジョン斉藤の世界

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 大相撲の世界で、行司の最高位となるのが、「立行司・木村庄之助」だ。

その木村庄之助が約9年にわたって空位となる「大相撲史上最大の異常事態」(協会関係者)が続いていたが、相撲協会は9月場所後の理事会において、12月25日付で立行司の41代式守伊之助を38代木村庄之助へ昇進させることを決定。問題は解決したかに思われたが、新たな問題が起きてしまった。現在、行司のナンバー2で、三役格行司の6代木村玉治郎が協会に退職届を提出したのだ――。 

 広く知られているように、力士の最高位は「横綱」である。2021年9月場所限りで横綱・白鵬(現・宮城野親方)が引退したことで、照ノ富士のひとり横綱時代が2年間続いている。照ノ富士は両膝に爆弾を抱えて休場が多いことは相撲協会にとって悩みのタネだが、それより深刻だったのがひとり「立行司問題」。行司の最高位である「木村庄之助」の不在が8年9か月も続いていたのだ。 

 行司には最高位の「立行司」から最下位の「序ノ口格」まで8階級がある。横綱の取組をさばけるのは立行司である「木村庄之助」と「式守伊之助」の2人のみ。中でも木村庄之助が格上とされ、さばくのは結びの一番だけ。横綱でいえば東の正横綱に相当する。行司たちは出世に伴い「木村××」「式守××」という名跡を受け継いでいくかたちだ。飛び級はなく、長く勤めることによって階級を1段ずつ上がっていくことになる。相撲担当記者が言う。 「37代木村庄之助が定年退職したのが2015年3月場所。当時、ナンバー2だった40代式守伊之助が昇格するとみられていたが、若手行司へのセクハラ問題が発覚し、3場所の謹慎後に退職してしまったのです。木村庄之助と式守伊之助という2人の立行司が空位となったことで、11代式守勘太夫が41代式守伊之助に昇格。順当にいけばそのまま38代木村庄之助に昇格する予定だったが、健康問題に加えて差し違えや土俵からの転落も多かったため、長く昇格が見送られてきた」

「年功序列」の弊害

 今回、ようやく41代式守伊之助が38代木村庄之助に昇格することになったわけだが、そのタイミングで行司の序列ナンバー2で三役格行司6代木村玉治郎が協会に退職届を出したと報じられたのだ。協会からの正式発表はなく、退職の理由も明らかになっていないが、所属部屋の立浪親方(元小結・旭豊)が退職届を提出した事実を認めるコメントが報道された。その背景には、行司の処遇を巡る複雑な事情がありそうだ。前出・担当記者が言う。 「行司の世界も力士と同様、1日でも早く入れば兄弟子となる。その後の出世は、勝負判定の成否や土俵態度などの成績評価によるものとされているが、実態としては入門順(勤続年数)による年功序列。行司階級の昇格は特別な失態がない限り、場所を重ねることでワンランクずつ昇格することが慣例となっている。力士のように弟弟子が兄弟子を番付で追い越すケースはほとんどない」

  こうした「年功序列」の弊害として、行司を巡るトラブルが起きるのだと話すのは、協会関係者のひとりだ。 「年功序列のみで昇進させていったことで、大一番での差し違え問題が起こるようになった。そこで成績評価が導入されるようになりました。勝負判定の良否はもちろんのこと、土俵上での態度や掛け声、後進の指導力、相撲漢字の習得など、審判部や巡業部の考査表をもとに、9月場所後の理事会審査を経て翌年の1月場所で昇格する仕組みになっています。

  このようなルールを作っても基本的には年功序列は変わらないが、その弊害として上位の行司が空位になってもすぐに下から繰り上げられなくなった。なかでも定員が2名の立行司では渋滞が起こりやすく、41代式守伊之助がその技量への疑問があったことで長く木村庄之助に昇格できず、最高位が空席となる状況が長く続いてしまった」

先代の木村庄之助の「遺言」

 昇格できない式守伊之助の存在があるため、三役格行司を立行司にさせることもできず、長く木村庄之助が空位となっていたわけだ。そうしたなかで今回、38代木村庄之助が誕生したので、それと同時に三役格行司から昇格するかたちで42代式守伊之助も同時に誕生するとみられていたが、そうはならなかった。「これが木村玉治郎退職の背景にあるのではないか」というのは若手親方のひとりだ。

 「41代式守伊之助は来年9月場所後に定年を迎えます。その花道として木村庄之助に昇格させたが、裁きが安定せず、先の9月場所でも9日目の豊昇龍対琴ノ若戦で11回目を差し違えをしたばかり。そういう行司を立行司に昇格させてしまった反省から、次の立行司(式守伊之助)は1年間かけて4人の三役格行司の中から見定める方針だといいます。 

 退職届を出した6代木村玉治郎は、41代式守伊之助の裁きが安定しない問題の巻き添えを食ったかたちでしょう。本人には、裁きだけでなく、掛け声や佇まいも41代式守伊之助より上だという自負があるはず。体調不良で41代式守伊之助が休場した時には、代わりとして結びの残り2番を裁いた経験もある。三役格で最年長でもある木村玉治郎にしてみれば、自分が今回同時昇格できなかったことで、この先も立行司になれないと判断のでしょう。協会への抗議の意味もあったのではないか」 

 昨年7月、慢性間質性肺炎のために亡くなった37代木村庄之助の畠山三郎氏は、生前に本誌・週刊ポストの取材でこう語っていた。 「庄之助を9場所、伊之助を6場所やりましたが、その3年間に1度も行司黒星(差し違え)はなかった。それが私の誇りだね。ただ、行司は土俵上(で勝敗を裁く)だけの仕事じゃないのでね」

  照ノ富士は第73代横綱だが、これまで木村庄之助を名乗れたのは37人しかいない。今回で38人目となるが、その重みを感じて土俵に上がってもらいたい。

 

私的意見ですが、次期木村庄之助は、木村玉次郎だと思っていました。だから非常に残念です。

今更もう無理でしょうけど、協会は今回のことを、糧にして、行司の在り方・制度を変えてほしいですね。