元関脇玉ノ富士の先代片男波親方が肝臓がんで死去 71歳 | ジョン斉藤の世界

ジョン斉藤の世界

あなたを、妄想かつ奇妙な世界にお連れします。
当ブログは、相撲関係の情報に特化したものを目指しています。
しかし、ソフトバンクホークスの世界、お笑いの世界、ありえない不可思議な世界、恐怖の世界、歴史の世界、ミステリの世界等にもご招待しますよ~。

日本相撲協会は24日、先代片男波親方で元関脇玉ノ富士の大野茂氏が、21日に肝臓がんで死去したことを発表した。71歳だった。

片男波部屋に入門した大野氏は、67年夏場所で初土俵を踏み、翌名古屋場所は序ノ口で6勝1敗の後に、自衛隊に入隊。帯広駐屯地で2年を過ごし、満期をへて除隊後に相撲界へ戻ってきた。現在は再入門は不可能だが、詳細な規定がなかった当時は可能だった。

70年秋場所から角界に戻ると順調に番付を上げ、73年九州場所で新十両、74年秋場所で新入幕を果たした。小結だった78年初場所で4大関を撃破するなど11勝を挙げて、翌春場所で新関脇に昇進。金星2個、敢闘賞2回、殊勲賞1回受賞するなどし、81年九州場所を最後に引退した。

引退後は年寄「湊川」を襲名し、片男波部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたった。87年に「片男波」を襲名。日本相撲協会理事を務めるなどし、19年に退職した。

 

玉の富士とは、浅からぬご縁があります。私の友人(仮に太田さんと称す)に自衛隊出身のかたがおります。

昭和60年の春場所に玉の富士に会いに行こうと太田さんと決めて正面玄関に向かいました。

世話人か若い者頭がでてきたので「玉の富士を呼んで欲しい」と言うと、「中に入って勝手に探してください」と言われた。と言うわけでまんまと府立体育館にもぐりこんだのですが、肝心の玉の富士には会えませんでした。でもただで相撲観戦できたのは、ラッキーでした。

あの時お会いできてたらと思うと、至極残念です。が、せんないこと。ご冥福をお祈り申し上げます。