新な時代に新な思考

 

この時期、パンデミックの脅威に多くの国や自治体も、一度発令した禁令をどの様に進めるか、巷で生きる我々一般庶民にしてみれば気骨の折れる思いで毎日を生きている。 人類は果たしてこの時期をうまく乗り越えられるだろうか。 此れまでの同じ様な疫病出現の折々に何とか乗り越える術が見出だされた様に我々は意識しているが、それと同じなのだろうか。 こんな時期に思い起こす事は、このあと、例え落ち着きが得られ、ほぼ平常に戻るという情景をも我々は割と安易に想定しがちである。 此処で人が試されることは、人類の生きざまと他の動植物のそれらとの比較対象の意識ではないだろうか。 先ず子孫継承持続と云う事を考慮すると、多くの相異点に気付かされる。 

 

此処数世代を経て、人類はその子育てと云う行為に於いて、多くの社会で集団化にその主体を置き、分業を進展させてしまったことである。 

これは文明の一見進歩と思われる高密度経済産業態勢の進展した地域に於いて特に顕著なものである。 要するに他人(ひと)任せの生きざまが進み、あらゆる面倒くさいと思えること、大変なこと、すべての生きる行為を誰か別の人や組織体に丸投げしながら、自分達の生活のパターンを時局の風潮に同化させる生き方の袋小路に、何時の間にか、そう、いつの間にか追い込まれていた事に気が付く訳である。

 

こんな時期に、我々人類は、一人一人が、一つの家庭単位の互助意識を、その生活パターンの中にとり戻す努力をする必要性に迫られるのではないだろうか。 それぞれの地域で、人と人が信頼し、助け合い、思いやりの意識を高める日常。 此の日本と云う国、否世界中何処の国でも、民衆の間に進んでいた小規模の社会環境が、つい先ごろ迄はあった様な気がするが、それをもう一度取り戻す、そう、取り戻せる生き方が、多分サヴァイヴァルと云う視点で社会の主流を占める事象が容易に想像出来る。 そんな生活風潮が変容するに時代に今我々は直面しているのであろう。