履歴書的含蓄       菊地 喜平

まえがき

 

日本経済新聞に連載された「私の履歴書」の欄を読むのが楽しみだった。 多くの著名人がそれぞれの生きた人生体験を実録として語るもので、戦後の育ち盛りの青年にとっては将来への道標となるエピソードで満ちていた。 所謂含蓄のある話をじっくりと聞く思いで読めたものである。 戦後の復興期を彩る社会情勢の進展が此の実録的体験談を通じて如実に把握出来るものがある。 人は体験からしか本当の教育と云うものは実に就かない。 英語で云う諺に If I were in your shoes……….「もし私だったら・・・・」と云う仮定法の話術であるが、他人の体験談の中に自分の身を置いた場合に、一瞬どの様に行動指針を取っただろうかと考える場面は沢山盛り込まれているものだ。 私自身の人生談の中にも、他人様(よそさま)にお聞かせ出来る数多の話題があって、特に今日の成長期にあるニュー・シニアの人たちには興味を持って読んで戴ける様な予感がするのである。 謂わば此処五、六十年の我が日本と云う国が歩んできた道筋を、ドラマチックに述べるのもそれ程うざいものではない様な気がして、此の稿を書き始めた訳である。 私みたいな無名な一人のシニアがそう考える根拠はと云えば、 今現在、人類にとっては一つの試練教訓となる、コロナ・ウィルスと云う災難に全世界が直面しつつある、此の時期に、若しかしたら、此の騒ぎが軈て終息期に行きつく時に、一人一人の人生に何らかの道しるべとなるのではないかと思う訳である。 

 

人類は他の動植物に比べて比較的その生態歴史は永くない。 今日多くの科学者たちが、これ等先達的動植物の持つ、夫々の進化の中に新な発明を見出だしつつある現象がある。 人類にとっては福音となる多くの生活の術がこのかけがえのないプラネット上で、更なる進展を見る時期に我々は今遭遇している訳である。 この期に正に進化の進む多くの要素が醸成されつつある訳で、此処半世紀に人類が歩んできた生き方のパターンに次なる方向性を示唆する多くの事象を研鑽すると云う認識が、新な教育の分野での模索となって、その形を現しつつある現象の一つとして捉えれば、これは、若しかしたら、若い世代への、語っても楽しい、聞いても楽しい、所謂 win win の事象が進む様な気がしてならない。 自分にそんな確信を授けてくれたのは、先日或るメディアの取材の方が私の所へ見えて、問わず語りに自分の来し方の記録を話し始めたのだが、此のTさんは大変興味深く耳を傾けて下さって、ハッと気が付いたら丸々二時間が過ぎていた。 取材外交的お立場から、と云う要素もあったかも知れないが、Tさんの興味を示すご表情は、そればかりでは無いという意識を充分に感知させてくれるものだった。そうだ、語って行こう、我が人生の体験談を。 講演と云う形でも良いし、書物にして発行してもよい、どちらにしても自分の感知している、含蓄、これは手前みそともいうものかも知れないが、敢えて進めてみたいと思い、此れから書いて行くことにする。 どうぞ御用とお急ぎでない方は、お目とお耳を拝借と、我が発心の口上を申し上げる次第である。 連載小説のつもりで、毎日とは行かないが、折に触れて、ブログに掲載する手法をとってみたい。 どうぞご期待ください。

 

         令和二年五月吉日  著者記す