16.三十三間堂 -2026年5月奈良・京都
東福寺駅まで戻り、駅前の食堂で昼食にしました。観光地でありながらお店は少ないです。生姜焼き定食を頂いたようです。まだ、ホテルにチェックインする時間には早かったので15分くらい歩いて三十三間堂へ。京都に何度も来ていますが、ここに来るのは初めてでした。内部は写真撮影不可なので、ありません。・「三十三間」の由来柱と柱の間が33あるのは本堂の内陣で、外観から見える柱間は35だそうです。「33」は観音菩薩に縁のある数字で、『法華経』等に観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うと説かれることによる。(Wikipediaより)・本尊は千手観音坐像最近「ちこちゃんに叱られる」で知ったのですが、千手は沢山と言う意味ではなく40本ある手により1本の手で25の世界を救うと言う意味だそうです。観音像の胸の前で合わせている2本の手を入れると42本あることになります。(※唐招提寺にある千手観音は約1000本もあるそうです)・中央の千手観音坐像の両横に木造千手観音立像1,001躯が並べられている。・木造千手観音立像の前に風神雷神像と二十八部衆像がある。でっかいお堂に、これだけの仏像があるのは圧巻でした。なお、奈良の興福寺の国宝館に八部衆像がありますが、二十八部衆像と一部重なっているもののあるが基本別だそうです。八部衆像の1つに阿修羅像があるのは超有名。------創建は平安時代の後期に平清盛が後白河上皇の為に建立されたものとされています。豊臣の時代に方広寺の一部になったことから太閤塀でこの辺り一帯を囲んだ塀が今も残っています。江戸時代の初期には方広寺ともども三十三間堂は妙法院の管理下に置かれ、現在も三十三間堂は妙法院の飛び地になっているそうです。境内には池泉があり、庭園として整備されている場所もありました。