フランス人、ポール・ブリュナ氏の指導の下、明治5年(1873年)に完成、操業が始まったそうです。
こちらは正門を入って真正面にある、東繭倉庫

今は映像コーナーや展示コーナーになっています。
売店もあります。
入口のアーチの石版には「明治五年」と書いてあります。

主要な建物のほとんどは、木の骨組みに壁に煉瓦を積みいれて作る「木骨煉瓦造」という工法で建てられたそう。
煉瓦造りという西洋建築を取り入れ、屋根は日本瓦という西洋×日本の建築技術をミックスさせたもの。
煉瓦はブリュナ氏の指導で、隣町の瓦職人の方たちが焼いたそうです。
今見ても迫力のある建物ですから、当時いきなりこんな建物ができて、周りの住人たちはさぞびっくりしたのでは!?
こちらは繰糸場
これが見学のメインです。
横から
屋根の上に小さな屋根があります。
これはお湯を使って糸をとっていたため、その蒸気を逃して換気するためのもの。
中に入ると、かなり大きい、長さ140メートル、ずーっと奥まで製糸機が並んでいて圧巻の光景でした。
こちらは従来の日本にはなかった「トラス構造」という建築工法を用いて、中央に柱のない広い空間が保たれています。
採光の為の多くのガラス窓も特徴。
窓ガラスや鉄製の窓枠はまだ日本にはなかったもので、フランスから輸入されたと考えられています。
現在保存されているのは昭和40年代以降に設置された自動製糸機、
操業当初のものを復元した製糸機は東繭倉庫に展示されていました。
こちらです。
内部見学ができるのは東繭倉庫と繰糸場の2か所のみ。
あとは外からの見学のみになります。
指導者として雇われたフランス人、ブリュナ氏が家族と暮らしていた住居、ブリュナ館
1873年頃建築。
ブリュナ氏は1875年に日本を去り、その後この建物は女工さんたちの学び舎として使用されたそうです。
女工さんたちの寄宿舎
こういうところこそ、私は内部見学したかったです。
当時どういう暮らしをしていたのか、住居からちょっとでも垣間見れたらと思う。
女工館
こちらは日本人工女に、器械による糸取の技術を教える為に雇われたフランス人女性教師4人の住居だったそうです。
その後、1階は食堂、2階は会議室として使用されました。
診療所(昭和15年、3代目の診療所)
最初の診療所は寄宿舎のそばにあり、フランス人医師が治療にあたり、治療費や薬代は工場側が負担していたそうです。
民営化後、三井の時代に建てられた社宅
工場長のお宅。
明治29年頃に建てられたものらしいのです。
この工場長宅のみ2階建て、2階の窓が洋風なのが特徴とのこと。
こちらの女工さんたち、募集をだしてもなかなか人が集まらなかったそうです。
フランス人指導の下の工場だったため、人々がフランス人の飲むワインを血と思い込み、「富岡製紙場に入場すると外国人に生き血をとられる」というデマが流れたそうで・・・。
初代製糸工場長の尾高氏の娘さんが工女第一号として入場し範を示したそうです。
女工さんというと、「女工哀史」や「ああ野麦峠」、最近だと「花子とアン」のはなの妹のかよ、劣悪な労働条件で病気になったり、亡くなったり・・・というのが頭に浮かぶのですが、この富岡製紙場は労働条件もフランス式。
労働時間は平均7時間45分、日曜休み、寄宿舎制度が取り入れられ食事も工場側で用意していたそうです。
ざっとご紹介しましたが、行かれる方はボランティアガイドさんのガイドツアーに入るのをお勧めします。
私は着いたのが夕方だったので、もう受付が終わっていました。
なのでパンフレットを読みながらだったのですが、ツアー途中のガイドさんのお話を横からちょっと拝聴しましたが、いろいろなお話を聞けそうで断然いいと思いました!
あとパンフレットにQRコードが付いているのでスマホにかざして見学場所の説明を聞くこともできるのですが、
ヘッドホンを持っていなかったのでそれも出来ず・・・。
帰ってから聞きましたが、こちらでも詳しく説明されています。(それを聞きながら書きました
)
これにて日帰りバスツアーレポ終了です













