久しぶりに旧い友人の夢を見た。
永らく会ってない同級生が出てくるのだけど、ちょっと寂しい夢だった。
内面の心理を反映したものだとしたら、一体それは何なのだろう…?
どうもこの夢は大学を卒業する間際という設定らしく、S君(♂)という友人の家に遊びに行っているとCちゃん(♀)という子がフラッとやってくるところから始まる。
僕とS君がダベっていると、しれーっとCちゃんがやってきて、会話に加わる。
いつもは明るいCちゃんなのに、今日はやたらとテンションが低い。
僕は、そんな空気を変えようと「もう卒業だよねー。なかなか今までみたいには会えなくなるけど、どうする?」みたいな話を一生懸命に振るのだけど、しんみりしているのは僕だけで、他の二人は割とサバサバしていて、僕はちょっと空回りを感じている。
話は盛り上がらず、結論も出ないまま時間が過ぎ、澱んだ空気は変えられない。
やがてCちゃんはあっさり「私、家に用事があるんでもう帰るわ」とS君ちを出て行ってしまう。
僕は名残惜しくなってCちゃんを追い、「じゃあオマエんち行って喋ろうよ」とすがるのだけど、「もうアパート引き払ったから実家だよ?」と言われて困惑する。
別に親がいたっていいんだけど、なぜかやりにくさを感じて、そこから言葉が出なくなってしまったったのだ。
で、結局Cちゃんにも去られた僕は、ポツンと独り突っ立って心細くなってしまう。
珍しくフェミニンな白いフレアスカートをはいたCちゃんを見送りながら、かける言葉を探しているのだけど見つからない…という場面で目が覚めた。
なんだかデジャブ感に溢れる夢だった。
そういえば、昔、実際に大学生(1年か2年)だった頃、試験前に友人(♂)の家に行っる時にCちゃんが訪ねて来たことがある。
夢と違うのは、その友人(♂)というのがS君ではなくN君だということなのだけど…
期末テストを控えたある日のこと。
僕とN君はともに履修していた講義の対策をするためにN君の部屋に集まっていた。
とはいえ、二人ともあまりマジメに授業に出てなかったので、頭を突き合わせてみたところで良い案は浮かばない。
どうしたものかと困っていたら、呼び鈴が鳴って、玄関の扉を開けるとドヤ顔のCちゃんが立っていた。
気を利かせたN君がCちゃんに頼んでノートを持ってきてもらう手配をしてくれていたらしい。
それから僕らは四方山話で盛り上がり、勉強会は単なるお喋り会になってしまった。
その授業の単位は取れたのかどうかはよく覚えていないのだけど、そんなことより僕にとってはCちゃんと仲直りできたことの方が重要だった。
実を言うと、N君の家にCちゃんが遊びに来るまで、僕とCちゃんは疎遠になっていて、この出来事をキッカケに再び彼女との交流が始まったのだ。
さっきから夢の中の登場人物であるS君がサッパリ出てこないのだけど、ここで僕とS君、N君、Cちゃんという4人の関係を整理してみる。
僕とS君は高校と大学が同じで、N君・Cちゃんとは小・中学校と大学が同じ。
4人とも同じ大学に通ってはいたけども、みんな学部が違っていた(僕は経済学部で、S君は農学部、N君は法学部で、Cちゃんは教育学部)。
S君から見たらN君やCちゃんとの面識はなく、CちゃんとN君は昔から親しかったようだけど、二人ともS君には面識がない。
S君以外の3人は子供の頃からの知り合いだけど、この一件まで3人でつるむということはなかった。
だけど夢の中ではみんな知り合いだということになっているようだ(夢にN君は出てこないのだけど)。
Cちゃんとは親同士も知り合いだったので、小学校低学年の時代は幼馴染のような感覚だったのだけど、やがて高学年になり、中高生になるとそんな親を介した関係性が何かイヤで、殆ど言葉を交わす事もなくなっていた。
だけど、N君ちで再会して以降は、そんなのをすっ飛ばした若者ならではのノリで繋がることができた。
それまでの何年かの、お互いの存在がなかったかのように言葉を交わすこともなかった期間が嘘みたいに呆気なく時間が繋がったのだ。
そこはN君の包容力の賜物だと思う。
Cちゃんとの無意味なギクシャクなどなかったみたいにしてくれたのだ。
以降、次第に僕らは昔の感じに戻って、N君同様、Cちゃんとも子供の頃からずっと親しかったかのように親しく交流した。
Cちゃん(実際には下の名前を呼び捨てにしていた)は異性なのだけど、子供の頃のままのような中性的な感覚で喋る事ができた数少ない(唯一の?)友人だった。
僕自身は思春期以前と以降で自意識や人間関係に断層面があるのだけど、CちゃんやN君はそれを違和感なく繋いでくれる貴重な存在。二人とも大好きだった。
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N君とも付き合いは長く、小中学生の頃は一番仲が良かった友達の一人だった。
彼は徳島から引っ越してきた転校生だった。
真新しい戸建ての家の庭にあるプレハブの離れが彼の部屋になっていて、そこには何週分もの『少年ジャンプ』や『こち亀』『東大一直線』などのコミック本が並んでいた。
僕はと言えば、弟と二段ベッドの相部屋で、しかも部屋の一部は隣の部屋への通路を兼ねていた。
週刊誌を買ってもらうなんて夢のまた夢で、学習机の書棚には、親戚が買ってくれた『ガンジー』とか『シュバイツァー』くらいしかなったので(読まなかったけど)、その住環境は羨ましい限りだった。
僕にとっては、異世界(徳島)から流行りのギャグ漫画という異文化を運んできてくれた存在とも言える。
元々穏やかで人柄が良い上に、早くから最新の笑いに触れていた彼は、いつもみんなを笑顔にする名人で、周りには自然と人の輪が出来ていた。
僕もその中の一人だったのだけど、子供の頃から身近にその発想や価値観を感じていたので、自然と強い影響を受けていたと思う。
中学生になって思春期を迎えても、N君とは小学校時代と同じような感覚で付き合えたし、別な高校に進んだ後、同じ大学に通うようになっても、それは変わらなかった。
小学校時代は、近所で一番高い山に「探検」に出かけ、時計を失くして「探」してたら道に迷ったり…というハプニングに遭遇しながらも、無事に山を制覇した経験は大きな思い出だし、大学生になってからは、「合コン」という未知の世界への探検に、ともに挑んでいたものだ(大学時代に長く付き合った彼女も彼が誘ってくれたコンパで出会った)。
学部は違っていたけど、彼を介して多くの人と交流することが出来たのは、彼といる時の自分が自然体でいられたからではないかと思う。
彼の存在感は僕や彼自身が気づいている分よりもきっと大きくて、その穏やかなポジティブさにはみんな無自覚に救われていたのではないだろうか。
中学生の頃、上記のT君と学校のイベントで漫才をして爆笑を取った快感に僕は永らく囚われることとなるのだけど(自分ではそれを「中二病」と呼んでいるが)、そんな素養を作ってくれたのは、小学生の頃にN君らとアホ話ばかりしていた実体験が大きいと思う。
ちょっとした出来事や話題を元に発想を膨らませ、イメージを操作して「フィクションで遊ぶ」ということを教えてくれたのはN君だったのだ。
こんなふうに文章を書いたり読んだりするのが好きになったのも、漫才同様、想像の中で遊び、それを表現する快感や表出したい衝動に基づいているのだだろう。
そんな感性を小学生時代に芽生えさせてくれたN君との出合いは、その後の僕の人生を決定づけたとさえ言えるのかもしれない。
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やがて大学を卒業し、社会人になってからも暫くはそんな交友が続いた。
N君とは勿論、Cちゃんとも互いに赤裸々な恋の相談をしたり、失恋した時は励まし合ったりした。
互いに彼氏彼女がいなくて暇な時は、二人で花火を見に行ったり、海へ泳ぎに行ったりもしたけど、それでも全くロマンチックな空気になることはなかった。
幼馴染の延長のような仲だったので、異性としてカッコつける必要がなく、飾らない自分を曝け出せる稀有な関係だったのだ。
Cちゃんは誰に対してもそうだったのかもしれないけど、少なくとも「えぇカッコしぃ」の僕にとっての彼女はレアな存在だった。
海に行った帰りに一度、Cちゃんがふざけて後ろから飛びついてきた事がある。
「疲れたからおんぶして!」と抱きつかれたのだ。
胸に夕日を、背中に彼女の肌の温もりを感じながら、異性というより懐かしさを覚えたものだ。
弟と戯れた幼い頃を思い出してしまったのだ。
Cちゃんは身内に一番近い他者であり、中性に一番近い異性でもあった。
ある意味、異質な何かと何かの「間」(あわい)にいてくれる、境界を繋ぐ存在だったのだ。
その絶妙な距離感は、その後もいい感じで続いていた。
彼氏の候補を紹介したり、僕に彼女が出来たときは紹介したこともあったし、互いの友人を連れてみんなで遊びに行ったりもした。
そういえば、丁度GWの時期に、Cちゃんに友達を連れてきてもらって、僕とN君と4人で遊びに行ったこともあったっけ。
その後、松山で就職したその友達から「社会人は大変だ」という手紙をもらったことがあるので、大学3年か4年の春の出来事だったと思う。
昔のトレンディドラマなら、ここから三角関係(四角関係?)が始まって、友情と恋愛感情の間で様々なハプニングが続出し、傷つきやすい青春時代ならではの人間模様の綾が描かれるのだろうけど、現実的には全くそういうことは全く起きなかった。
寧ろ、彼らが不安定な青春時代のスタビライザーになってくれていたとも言え、だからこそ傷つきやすい僕にとっては大切な関係だったのだ。
あぁ…思い返せば、僕にも煌めく青春時代があったのだなぁ…
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そんな流れが変わったのは、ある年の冬、Cちゃんの友達が勤めている会社の同僚に誘われて、みんなでスキー旅行に出掛けた時のことだった。
特に何があったという訳ではないのだけど、ギクシャクした空気になってしまったのだ。
時はバブル崩壊の前後。
時代の空気はアゲアゲだった。
僕も楽しむことに夢中で、週末は予定を詰め込んでいた。
学生時代みたいには自由な時間はなくなったけど、時々Cちゃんと会うときは、なんだかんだといつも盛り上がっていた。
その日も、真夜中の凍てつくハイウェイを飛ばしながらみんなハイになっていた。
あの頃は、みんなどれだけハイになれるのか競い合っていたようなところがあったような気がする。
そんな中、ツアーのメンバーの一人、同い年の男は、車を飛ばすだけ飛ばして濡れた路面でわざとハイドロプレーニング(水の膜の上でタイヤが空回りして浮いたようになる現象。全く操作が効かなくなる)を起こして「ほら、浮いた!」とはしゃいでいた。
大事故にも繋がりかねないことなので、さすがに僕も引いたのだけど、一緒に盛り上がっている車中の空気を壊してまで「それはやめようよ」という勇気が僕には出なかった。
当初、僕は、いつもの調子で場を盛り上げてやろうと思っていたのだけど、やたらテンションが高い彼らが作る職場仲間の輪に僕はうまく馴染めず、ひとりポツンとしてしまった。
…そう、ちょうど今朝見た夢のように…
Cちゃんにしてもきっと「面白いヤツを連れてくるから」とみんなに言ってるんだろうな…と思ったら、盛り上げ役のお株を奪われたようで情けなかった。
それは、その頃はすっかり忘れていた高校時代の孤独感と同じものだった。
Cちゃんと再会して以降、彼女といる時はずっと中学時代以前のような「明るく面白いオレ」でいれたので、こんな醜態を晒すことは耐えられないことだった。
スキー場についてからも、長縄跳びに入れない子供のように、僕は一人で浮いていた。
今でいう「ぼっち」だ。
こんな情けない自分を晒したくなかったので、Cちゃんのことも何となく避けてしまった。
Cちゃんが他の連中と楽しそうにしていたかといえば、そうだったような気もするし、そうでなかったような気もする。
彼女にしたって、メンバーの中では同級生の女の子以外は僕しか知らないのだ。
その子が馴染んでいる職場の同僚達と盛り上がっている時に、Cちゃんも同じように楽しめたかどうかというのは疑問だ。今になって思えば。
もしかしたらCちゃんも僕と同じような違和感を持っていたのかもしれないけど、当時の僕に彼女を思いやる余裕はなかった。
最後の方は目を合わすのさえ辛くなって、僕の方からCちゃんを無視してしまっていた。
結局、僕は、Cちゃんの前でも「えぇカッコ」したかったのだ。
「アホなヤツ」「オモロいヤツ」でいることが、僕にとっては「えぇカッコ」だったのかもしれない。
そこにN君がいたら違っていたのかな…
そんなことを今になっても思う僕には、同じことが今起きたとしても、同じような態度しか取れないのかもしれない。
いつまでたっても僕にはN君のような包容力や寛大さはが身につかない。
自分のことしか考えてないのだ。きっと。
全体的にはは盛り上がったスキーツアーだったけど、その中で僕とCちゃんの間には変な気まずさだけがどんどん大きくなっていった。
楽しみにしていたスキー旅行だったのに、結局、その間中、殆どCちゃんと喋ることはなかった。
帰ってからすぐにフォローすれば良かったのだけど、できないまま時間だけが過ぎて行った。
そのままCちゃんに連絡することもなく、やがて互いに結婚して家庭を持ってからは、完全に交流が途絶えてしまった。
結果的には、それが僕とCちゃんの最後のイベントになってしまった訳だ。
香川では小・中や大学よりも高校のネットワークが強いような気がする。
それは僕らにとっても例外ではなく、高校が同じS君とは今でも交流が続いているけど(といってもS君とも2年くらい会ってないのだが)、小・中・大が一緒でも高校が違うN君やCちゃんと合わなくなってからはあっという間に二十年以上の年月が流れてしまった。
何年か前に、Cちゃんのお父さんが亡くなったという話を親から聞いて、弔電を打とうかと思ったけど、葬儀場が分からずに断念したことがある。
今では全く接点がない。
僕は結構こういうことを繰り返していて、中学時代に一緒に漫才をした相棒だったT君とも、喧嘩別れした訳でもないのに何となく気まずくなり、大人になってからは会えないままだというのがずっと引っかかっている。
いつからか「大切だと思った人は離れていってしまう」というジンクスというか、ビリーフ(無自覚な信念)があるのか、大切な関係が壊れてしまうのが怖い故に自分から壊してしまうところがあるように思う。
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N君も、小学生の頃は一番仲が良かった友達の一人だった。
プレハブの離れが彼の部屋になっていて、そこには何週分もの『少年ジャンプ』やギャグ漫画のコミック本が並んでいた。
弟と二段ベッドの相部屋で(しかも部屋の一部は隣の部屋への通路を兼ねていた)、学習机の書棚には、親戚が買ってくれた『ガンジー』とか『シュバイツァー』くらいしかない僕にはその環境は羨ましい限りだった。
元々穏やかで人柄が良い上に、早くから最新のギャグに触れていた彼はいつも面白いことを言っていた。
その発想や価値観について、僕は子供の頃から彼の影響を強く受けていたと思う。
中学~大学生になっても変わらない彼の存在感は気づいている分よりも大きくて、その穏やかなポジティブさには無自覚に救われていたのではないかと思う。
中学生の頃、上記のT君と学校のイベントで漫才をして爆笑を取った快感に僕は永らく囚われることとなるのだけど(自分ではそれを「中二病」と呼んでいるが)、そんな素養を作ってくれたのは、小学生の頃にN君らとアホ話ばかりしていた実体験が大きいと思う。
ちょっとした出来事や話題を元に発想を膨らませて「フィクションで遊ぶ」ということを教えてくれたのはN君だったから。
こんなふうに文章を書いたり読んだりするのが好きになったのも、漫才同様、想像の中で遊び、それを表現する快感や表出したい衝動に基づいているのだだろう。
それを芽生えさせたN君との出合いは、その後の僕の人生を決定づけたとさえ言えるのかもしれない。
その帰結としての象徴的な出来事が、僕とN君の共通の友人であるY君の結婚式での僕のスピーチだったように思う。
Y君は、大学の同じゼミに属していた友人で、N君とは高校の同級生でもある。
一年生の時にY君と知り合ったのもN君を通してだった。
社会人になった同級生が結婚式で同じテーブルを囲んだ時には、みんなもうそんな年齢になったんだという感慨に浸ったものだ。
Y君のマジメな仕事ぶりを称える上司の祝辞のあと、友人代表としてスピーチをした僕は、「Y君がそんな立派な人間だったとは、今日始めて知りました」とばかりに、職場の人達や新婦が知らない学生時代の茶目な素顔を紹介したり、ちょっといい話を交えながら結婚式としてはギリギリ許されるレベルの秘話で笑いを取ったりして、いい感じで場を和ませることができた。
隣の席にいたN君も「オマエ、こんな面白いスピーチをできるなんて凄いな」と讃えてくれたのだけど、ある意味そんな素養を最初に与えてくれたのはN君だった。
ある意味それはN君との交流の大団円とも言える瞬間で、一緒に山で遭難しそうになったハナタレ小僧の時代が夢のように思えたけど、それでも当時と同じ感覚で付き合えるヤツが隣にいることもまた夢のように、でも、とても心強く感じたものだ。
…と思っていたら、N君自身の結婚式には呼んでもらえなかったのがちょっとショックだったりもしたのだが…
N君と親しく喋った記憶はそれが最後で、その後、彼も僕も職を変わったり、引っ越ししたりしている内に連絡が取れなくなってしまった。
一度、ショッピングセンターで、とても綺麗な奥さんと二人で買い物をしているところを見かけたことがあるけど、気を使って声を掛けられなかった。
またどこかで出会ったら、何十年もの時間を飛び越えて、また以前と同じように途切れた時間を繋いでくれるのだろうか?
僕はいつになったら彼みたいに皆を包摂する存在になれるのだろうか…?
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気付けば、彼らと知り合ってから離れるまでの時間と同じかそれ以上の時間が経っていることに驚愕する。
とはいえ、そんな思いも日々の生活に追われて心の隅に追いやられてしまい、思い出す事も滅多になくなってはいたのだけど…
今朝の夢は、そんな大切な記憶を蘇らしてくれるとともに、忘れていた…というか、これまで目を背けてきた自分のダークサイドの蓋をも開いててしまった気がする。
まったくホリデーっぽくない夢でGWを折り返してしまったものだ。
何で今更こんな夢を見たのだろう?
この夢が無意識からのメッセージだとしたら、意識がある方の僕に何を伝えたかったのだろうか?
友達思いで懐が深いS君とN君は、僕の中では重なる部分があるから、夢の中で入れ替わっていてもそんなに違和感はないのだけど(僕は彼らに随分甘えてばかりで、何も返していない…)、腑に落ちるところはその程度。
後で考えたら、夢の中の気まずさは、今も胸に残っているCちゃんやN君に対するソレに符合するようにも思える。
それとも、N君のように夢には出てこなかったけど、Cちゃんと重なる誰かへの思いを投影しているのだろうか?
そういえば、すっかり忘れていたけど3ヶ月ちょっと前の1月末にも、やはり旧い友人(F君)の夢を見ていた(『小学時代の友人と再会した夢』)。
ある意味、今回の夢はその続編とも言えるのだけど、何らかの繋がりがあるのだろうか?
よく分からないけど、前回書いてなかったら気づくこともなかっただろう。
意味不明ではあるけど、やっぱり書き綴っておくことは大切だと思った。
読み返してみたら、ここでもN君の影がチラつくけど、本人は出てこない。
そしてやはりCちゃんのことにも触れていた。
日常生活で彼らを思い出すことは滅多にないのだけど、内心では余程気になっているんだろうか?
今回の夢と共通する根っこのようなものが疼いて何かを知らせようとしているのだろうか?
何か消化しきれない感覚が残っていることだけは確かだ。
それは、また大切なものを失ってしまう不安なのか?
未完の何かをやりとげよろという無意識からのメッセージなのだろうか?
逆に、このところ色んなことが停滞していることへの焦りか?
それとも別の共通項で繋がっているのだろうか?
気になることが無意識を超えて前意識まで来ているのに、直視したくなくて抑圧している顕れのだろうか?
目が覚めたときは物凄く寂しく、切なくて、自己嫌悪のような感覚が残っていたのだけど、意識が戻るに従って、そんな感覚も消えていった。
そしていつもの一日が始まるのだ。
GWにはアレをして、連休が開けたら、あんなことやこんなこと…やらなきゃいけないことが山積みだ。
なのにここのところずっと体調が悪いから、それまでには調えなければ…
そんなことより、まずは猫たちに朝ごはんをやらなければ…
完全に目が覚めてからも、夢のことがチラチラと思い出されて気になった。
それで、忘れない内に記しておこうと、またとりとめもない話をダラダラ書き綴ってしまった。
夢の意味を、後付の理屈をつけて分析しようとしてみたのだけど、どれもピンとこないからやめた。
そんなことより、悔いが残らないように今やれることをしっかりやっていかなきゃ、とは思う。
とはいえ、分かっていてもなかなかソレができないのが僕という人間なのだけど…
そんな不完全さを超えるべきなのか、愛でるべきなのか?
考えていたら余計に分からなくなってしまった。
まだ少し疲れているようだ。
今日はもう少し休もう。