父の納骨堂の下見をしてきた。

その時知って驚いたのだが、新調された納骨壇(お骨を収めるロッカーみたいな棚?)は僅かに6つ。
数日前に完成の知らせを聞いて早速見に行ったのだけど、既に5人から予約が入っているということで、内一人は昨日見に来て場所も決めて帰ったとのこと。

基本的に早いもの勝ちとのことなので、来週まで先送りにしていたら全部埋まっていただろう。
一体何のために長いこと待っていたのか意味がなくなってしまうところだった。
幸いにも、一番拝みやすい場所が空いていたので、予約を入れてきた。
年内の納骨式も決まって、ちょっとスッキリ気分。
やはり何事も早め早めに動かなければ。


その時、お寺の住職さんに聞いてビックリしたこと。

新しい納骨壇のうやうやしい両開きの扉には鍵がついているのだけど、「その管理はどうしますか?」という話になった。

住職がお寺にいる時は誰でも拝めるように納骨堂を解放しているのだけど、そうでないときの施錠は厳重にしているとのこと。

「某アイドルみたいにお骨を盗まれたりするんですか?」と聞いてみたら違ってた。

「お骨を盗まれたことはないけど、置かれていってしまうんです」

「???」
一瞬理解できなかったのだけど、要は「捨て子」じゃなくて「捨てお骨」「捨て仏」をする人がいるということらしいのだ。

昔はよく「拾って下さい」という張り紙と共に段ボールに入った捨て犬や捨て猫を見かけたものだし、数年前にも「赤ちゃんポスト」というのが話題になったことがあったけど、それと同様の感覚でなのかどうかは分からないけど、納骨堂の中に見知らぬ骨壷が忽然と置かれていることがあるというのだ。

酷い時には納骨壇の蓋を開けたら誰のか分からない骨壷や遺品がギッシリということもあったのだそうだ。
それ以来、施錠は厳重にするようになり、新調した納骨壇はそれ自体に施錠できるようにしたのだとのこと。

お寺としても名も無きお骨を捨てるワケにもいかず、かといって正規の納骨堂に収めるワケにもいかず、困っているのだという。

実際問題、お骨やお墓の管理というのはやっかいな問題ではあると思うけど、お骨を人任せにして置いてきちゃうってのはどんなもんだんだろう?

いくら浄土真宗は「絶対他力」を説くといっても、これは悪い意味での「他力本願」の例だよね。
(宗教のことはよく分からないけど、自分的には「『絶対他力』への帰依」というのは、人知を超えた叡智に開かれようとする姿勢のことだと思ってます)

とはいえ、自分にも子孫はいないので、自分の死後の尻拭いくらいは自分でしなきゃと思い、父の一周忌を堺に「終活」とやらも開始したのだけど、今は自宅に保管している犬や猫の骨も考えとかなきゃなぁ…

そんな今年の締めくくりにふさわしいお話を聞いて、色々と思うところあった晴天の初冬の一日でした。