愛する皆さま
おはようございます。
統合失調症ピアカウンセラーピアサポーター
はらともこです。
さて
今日は毒親について
書こうかな?
私の父親母親は
もう他界していないのだけど、
いわば
毒親中の毒親でした。
もう
どういう風に毒親だったか
思い出すと私の病気が
悪くなってしまうので
あまり触れたくはないけれど
父親母親の
DNAで形成されている
自分がとてつもなく
イヤ❗️
それは、今でも
変わらない。
ものごごろついた時から
私は両親の存在が
うっとおしくて
たまらなかった。
よく、
幼稚園や小学校で
父の日母の日に
強制的に
「お父さん、お母さんに感謝しましょう」
ってなんだか
カーネーションだか
なんだか作らされた
覚えはありませんか?
もう
苦痛で苦痛で仕方なかった。
早く、家を出たかったし
自立したかった。
父親母親の
目の届かない
どこか遠いところに
行きたかった。
母親が亡くなるときに
言い放った最期の言葉
「おかーさんは、もっと普通の子に
育てたつもりだったのに
おかーさんの育て方が悪かったのかしらね」
といい
息を引き取った
涙も出ない
むしろ解放感に溢れたね。
あぁ
毒親については
シリーズ化しようかな?
なんだか
あまり
掘り起こしても
私の具合が悪くなって
しまう。
ちょっと
このシリーズは長くなりそうです
皆さま
読んでいただいて
ありがとうございます。