本日は日本や外国の子供の保護について調べていて分かったことを少し書きます

 

明治期における児童虐待問題の構築と子どもの権利思想

著者:下西 さや子 安田女子大学文学部

 

 

※AIによる明治期の父親のイメージ①

確かに逆らったら処されそうですね

 

※AIによる明治期の父親のイメージ②

帝都ものが、いや鬼滅の刃・・・・・

 

 

明治というと、父親が家長として絶対権力をもち、妻子がそれに従うのは当たり前という時代でした。

親が子供をしつけの一環で死なせてしまっても罪に問われない、そんな儒教的な考えが支配的だったのです

一方で、明治20年には子供を親から独立した権利を持つ存在として尊重すべきという議論が始まるなど、意外に早い段階で日本の児童虐待への取り組みが始まっていた事がわかりました

また、虐待の被害児童が非行に走る傾向が高いことから、子供の権利保護が非行を減らし、社会の安定につながる、なおかつ子供が将来の国を支える貴重な存在であると気がついた明治政府は富国強兵の一環として感化教育(非行少年の再教育)に力を入れるようになります

なお、児童の非行の原因を家庭内の教育の問題として、幼少期の子供に対する母親の影響の大きさから、子育ての責任を母親に押し付けるような、悪しき日本の伝統も同時に明治から始まっています

 

今は国家のために子供を保護したり、子育ての責任を母親のみが負うような時代ではなくなりつつありますが、昔も今も虐待は一定数発生しています

何度でも繰り返しますが、親が子供を傷つけることは許されることではありません

 

積極的な加害でなくても、子供の健康に関心を寄せない、検査や検診に行かせない、などの不作為、無関心はネグレクトという立派な虐待なのです