
双極性障害の症状は簡単に言うと「気分の抑揚が激しくなること」である。これは一般的な知識であり、医療関係者をはじめとして、多くの場面で言われることと思う。ある時には気分が高揚し過ぎてしまい、普通では考えられないような突飛な判断をしてしまう。また、鬱の時は気分が沈み過ぎて布団から出ることも難しくなる。……これは一般的な症状、あるいは弊害だ。
しかし、病気を当事者の問題だけでなく、当事者の住む周辺地域にまで広げると、話が少し違って来る。気分的な障害だけでなく、社会生活における障害にもなるからである。
例えば、躁状態の時は気が大きくなり過ぎてしまい、不必要とも思えるものまで買ってしまう。自分は車の衝動買いのような話もリアルで聞いたことがある。また、産業医からは「投資に手を出しませんでしたよね?」と聞かれたことがある。これは躁状態の時に起こしがちな「誤った判断」にる弊害だ。
また、鬱の時は活動ができなくなる場合も少なくない。仮に、布団から出られたとしても、玄関から出られない場合も少なくないのだ。ちなみに、これによって約束を守れなくなることも多いことだろう。気分の落ち込みがそれほどでもない時に取り交わした約束が、鬱になってしまったがために守れなくなる。……ありがちな話だと思う。
他にも、発想が異常なまでに湧いてしまうこともある。これによって、他者とのコミュニケーションに支障を来すことや人間関係を壊してしまうこともあるかも知れない。
また、怒りっぽくなってしまい、話し相手がウンザリすることもあり得る話だ。
このように、双極性障害の症状を「裾野」にまで広げると、実に広範囲に影響することと思われる。そして、これによって社会の厄介者にもなり得る訳だ。
これは当事者としては相当に困る。と言うのも、人間関係に悪影響をもたらせば、更なる孤独感を覚えなければいけないだろうし、居づらくもなる。自室に引きこもる時間も増えることだろう。そして、当事者の内部での葛藤はスパイラルとなる。
このように、双極性障害は社会性まで含む厄介な疾患とも言える。しかし、完全にお手上げとはすべきではない。対処の手段はあるはずだ。
例えば「自衛」だ。
個人レベルで言うならば、適切な投薬、就労にしても日常生活にしても無理をしない負荷に留めることなどがあるだろう。また、家族レベルの自衛になるのであれば「理解」が最重要だとも思う。……仮に理解が困難である場合であっても、「理解しようとする意志」は持ち合わせてもらいたい。
そのような自衛や支援があれば、その当事者の「生きづらさ」も変わって来るはずだ。症状の緩和のみならず、周囲との社会的な繋がりも良い状態になるのではないだろうか。
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